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神戸地方裁判所 昭和56年(わ)241号 判決

本籍

神戸市北区道場町道場一六番地

住居

同市同区有野町有野二三六〇番地

医師

近藤直

昭和一二年一〇月二九日生

右の者に対する所得税法違反、詐欺被告事件について、当裁判所は検察官重富保男、同齋藤雄彦出席の上審理して、次のとおり判決する。

主文

被告人を判示第一の一、二、第二の一及び第二の二の別紙(八)の一覧表番号1ないし3の罪につき懲役二年及び罰金一億四〇〇〇万円に、判示第一の三、第二の二の別紙(八)の一覧表番号4ないし13の罪につき懲役一年六月及び罰金七〇〇〇万円に処する。

右各罰金を完納することができないときは、それぞれ金三〇万円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。

訴訟費用中、証人岸本敏夫の第六回公判期日出頭分、同木元美文の第六回公判期日出頭分、同井上重由の第九回公判期日出頭分としてそれぞれ支給したものを除く分は、被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一  神戸市北区有野町有野二三七八番地において近藤病院の名称で病院を経営していたものであるが、同病院の監理局長をしていた木元美文及び同病院の経理部長をしていた奥山昌明と共謀の上、自己の所得税を免れようと企て、

一  昭和五二年分の実際の総所得金額が五三一、八五九、八四四円(別紙(一)修正損益計算書参照)で、これに対する所得税額が三八四、六八九、五四〇円となり、すでに納付された源泉徴収税額三〇、九二三、〇一三円を控除すると三五三、七六六、五〇〇円(別紙(四)脱税額計算書参照)であるのにかかわらず、架空の仕入及び経費を計上し、これによって得た資金を仮名の定期預金とするなどの行為により右所得の一部を秘匿した上、同五三年三月一五日、同市兵庫区水木通二丁目一番四号所在の兵庫税務署において、同税務署長に対し、昭和五二年分の総所得金額が七〇、一四七、七〇六円で、これに対する所得税額が三八、七三一、七三二円となり、すでに納付された前記源泉徴収税額を控除すると七、八〇八、七〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により同年分の所得税三四五、九五七、八〇〇円を免れ

二  同五三年分の実際の総所得金額が六二一、六九一、八九七円(別紙(二)修正損益計算書参照)で、これに対する所得税額が四五一、二八四、二六六円となり、すでに納付された源泉徴収税額三六、七四三、五〇六円を控除すると四一四、五四〇、七〇〇円(別紙(五)脱税額計算書参照)であるのにかかわらず、前同様の行為により、右所得の一部を秘匿した上、同五四年三月一五日、前記兵庫税務署において、同税務署長に対し、同五三年分の総所得金額が八七、二一一、〇〇〇円で、これに対する所得税額が五一、一九三、一九二円となり、すでに納付された前記源泉徴収税額を控除すると一四、四四九、六〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により同年分の所得税四〇〇、〇九一、一〇〇円を免れ

三  同五四年分の実際の総所得金額が三八九、六九七、八八〇円(別紙(三)修正損益計算書参照)で、これに対する所得税額が二六〇、九八一、七八四円となり、すでに納付した源泉徴収税額三三、三一四、九七三円を控除すると二二七、六六六、八〇〇円(別紙(六)脱税額計算書参照)であるのにかかわらず、前同様の行為により、右所得の一部を秘匿した上、同五五年三月一五日、前記兵庫税務署において、同税務署長に対し、同五四年分の総所得金額が三二、〇〇六、四一三円で、これに対する所得税額が九、四五八、二五〇円となり、すでに納付された前記源泉徴収税額を控除すると、二三、八五六、七二三円の還付を受けることになる旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により同年分の所得税二五一、五二三、五〇〇円を免れ

第二  同四二年九月一日から同五六年二月一七日まで国民健康保険法に基づく療養取扱機関である近藤病院の開設者であったが、保険者等からの委託に基づき、療養取扱機関からの診療報酬請求書の審査及びその支払事務を取り扱う兵庫県国民健康保険団体連合会(以下連合会という。)に対し同病院の国民健康保険等の診療報酬を請求するにあたり、請求書に添えて提出する診療報酬明細書のうち、高額の分について過剰診療等であるとして厳しい審査を受けて減額されるのを免れるため、右高額の分について審査を受けないで不正に診療報酬の支払を受けようと企て、

一  同病院の診療報酬の請求に関し被告人の相談に与かっていた塩郷永治、連合会の職員で同五二年五月一日から同五四年八月三一日まで連合会業務第二課長であった井上重由及び同病院の監理局長をしていた木元美文と共謀の上、毎月一〇日までに連合会に提出した請求書について、別紙(七)の一覧表番号1ないし10に関しては、連合会に設置されている兵庫県国民健康保険診療審査委員会の定例委員会の審査終了後、同番号11、12に関しては審査委員会の審査終了後、井上において、右一覧表記載のとおり、昭和五二年九月一九日ころから同五三年八月二一日ころまでの間、一二回にわたり、神戸市葺合区(現在中央区)坂口通二丁目一番八号所在の兵庫県福祉センター内(同五三年七月七日以降は同市生田区<現在中央区>三宮町一丁目七番四所在のセンタープラザ内)の連合会において、あらかじめ除外していた同表「診療報酬明細書」欄記載の明細書合計一七七通(請求点数合計一五、九九四、三七二点)を、先に提出した請求書に添付されている明細書の中にひそかに差し込むとともに、右請求書を、右差し込みにかかる明細書の件数及び点数を加えた請求書と差し替えて、その全部につき審査を終えたもののように作為し、そのころ、診療報酬の支払計算事務を担当する連合会管理課係員をして、その全部について審査が終了したものと誤信させて支払計算事務を行わせ、次いで連合会常務理事をして同様誤信させてその支払決定をさせ、よって、同表記載のとおり、昭和五二年一〇月二七日ころから同五三年九月二七日ころまでの間一二回にわたり、連合会総務課係員をして、兵庫県三田市三輪字杉ノ元六九四番地所在の太陽神戸銀行三田支店の近藤直名義の普通預金口座へ右差し込みにかかる明細書分の診療報酬名下に合計一四一、二六七、二六八円を振込み入金させて、財産上不法の利益を得、

二  前記塩郷、木元及び連合会の職員で、同五三年九月一日から同五四年九月三〇日まで連合会業務第一課長補佐兼甲表係長事務取扱、同年一〇月一日から業務第三課長補佐兼第一係長事務取扱をしていた坂本哲也と共謀の上、毎月一〇日までに連合会に提出した請求書について、前記審査委員会の審査終了後、坂本において、別紙(八)の一覧表記載のとおり、昭和五三年九月二〇日ころから同五五年一月下旬ころまでの間一三回にわたり、前記センタープラザ内の連合会において、あらかじめ除外していた同表「診療報酬明細書」欄記載の明細書合計一四九通(請求点数合計一七、九〇五、三四二点)を、先に提出した請求書に添付されている明細書の中にひそかに差し込むとともに、右請求書を、右差し込みにかかる明細書の件数及び点数を加えた請求書と差し替えて、その全部につき審査を終えたもののように作為し、そのころ、前記管理課係員及び常務理事をして、前同様誤信させて支払計算事務あるいは支払決定をさせ、よって、同表記載のとおり、昭和五三年一〇月二七日ころから同五五年二月二七日ころまでの間一三回にわたり、前記総務課係員をして、前記近藤直名義の普通預金口座へ右差し込みにかかる明細書分の診療報酬名下に合計一六四、四一二、二八三円を振込み入金させて、財産上不法の利益を得

たものである。

(証拠の標目)

判示第一の一ないし三の事実につき

一  第一回公判調書中被告人の供述部分

一  被告人の検察官に対する各供述調書(検甲二四七ないし二七三号)

一  第二三、二五、二八、三一、三三、三五、三七、三九、四一、四四、四六、四八、五〇、一四五ないし一四八回各公判調書中証人奥山昌明の供述部分

一  第五一、五三ないし五五回各公判調書中証人木元美文の供述部分

一  第五五ないし五八回各公判調書中証人濱中壽一の供述部分

一  第五九、六〇回各公判調書中証人中林眞佐子の供述部分

一  第六一、六二回各公判調書中証人大松照子の供述部分

一  第六三回公判調書中証人野津秀子の供述部分

一  第六四回公判調書中証人中塚真里子の供述部分

一  第六五ないし六七回各公判調書中証人山下忠男の供述部分

一  第六七回公判調書中証人前切正の供述部分

一  第七〇、七一、七九、八一、一四〇、一四一回各公判調書中証人井本訓右の供述部分

一  第七二、七三、七四回各公判調書中証人渡邉皓元の供述部分

一  第七五、七六回各公判調書中証人塩郷永治の供述部分

一  第七七、七八回各公判調書中証人野田重雄の供述部分

一  第一三〇、一三一回各公判調書中証人岡本美子の供述部分

一  第一三二回公判調書中証人前田隆英の供述部分

一  第一三三回公判調書中証人足立佳代子の供述部分

一  第一三四回公判調書中証人北原善生の供述部分

一  第一三五回公判調書中証人木村すみ枝の供述部分

一  第一三六ないし一三九、一四二、一四四、一五〇、一五四回各公判調書中証人内野恭介の供述部分

一  第一四一回公判調書中証人安河内孚彦の供述部分

一  第一四二、一四三回各公判調書中証人中光正治の供述部分

一  第九二ないし九四回各公判調書中証人門長貫一の供述部分

一  第九四、九五、一〇一回各公判調書中証人田口広一の供述部分

一  第九八、一〇一、一〇二回各公判調書中証人佐藤庸安の供述部分

一  第一〇〇、一〇三回各公判調書中証人佐藤貞夫の供述部分

一  中島信幸作成の供述書(同一五六号)

一  斎藤麗子(同三一号)、堀口悦恵(同三二号)、畠山嘉子(同三六号)、谷田昭夫(同四〇号)、山本康弘(同四八号)、岸光雄(同五四号)、南条哲雄(同五五号)、今田拓志(同五六号)、山口隆久(同五八号)、上田栄一(同五九号)、川口武利(同八二号)、安田博文(同一〇二号)、田中ゆきえ(同一一二号)、伊藤信義(同一一三号)、大塚福美(同一一九号)、斎藤ひろ子(同一二〇号)、豊浦千鶴(同一二一号)、村田千代子(同一二二号)、藤原智子(同一二三号)、坂本幸子(同一二四号)、岸本光己(同一二五号)、晴木光(同一二六号)、白木節子(同一二九号)、松本正義(同一四〇号)、藤原卓夫(同一四二号)、西阪一裕(同一四六号)、白方誠彌(同一一七二号)、吉岡正夫(同一二三四号)、内藤昭(同一二四〇号)の大蔵事務官に対する各質問てん末書

一  松本洋助(同二六、二七号)、松本泰子(同二八号)、今福順(同二九号)、元山千秋(同三三号)、眞鍋泰子(同三四号)、中島正博(同三七号)、片山勝弘(同三八号)、谷田昭夫(同三九号)、木下正和(同四一号)、坂本哲美(同四七号)、石井康則(同四九号)、鈴木貞(同五〇号)、出原昌彦(同五一号)、吉川保(同五二号)、山根寅一(同五三号)、瀬川洋一(同六〇号)、大野喜一郎(同六一号)、高村光夫(同六二号)、峯太喜男(同六九ないし七一号)、中塚芳雄(同七二号)、光岡秀和(同七三ないし七五号)、木村宝義(同七七号)、西林輝雄(同七八号)、中村幸一(同七九号)、川口武昌(同八〇、八一号)、桜井一(同八三号)井上庫延(同八五号)、西山康雄(同八六号)、稲岡祐(同八七号)、福井毅(同八八号)、小林忠(同八九号)、松本修(同九三号)、草野信康(同九四号)、下田強治(同九五号)、滝本佳男(同九六、九七号)、小作晃和(同九八、九九号)、妹尾秀樹(同一〇〇号)、延原敏夫(同一〇一号)、沖藤好子(同一〇三号)、原稔(同一〇四号)、吉村俊夫(同一〇五号)、本庄勝治(同一〇六号)、木梨勝美(同一〇七号)、平原充信(同一〇八号)、国澤恒彦(同一〇九号)、黒木輝夫(同一一八号)、河野孝男(同一三〇号)、橋本美知子(同一三一号)、三浦順郎(同一三二号)、森垣驍(同一三三号)、藤原りつ子(同一四一号)、末吉小春(同一四五号)、苗村市郎(同一四七、一四八号)、石井光次(同一四九号)、大広秀紀(同一五〇号)、陰山輝男(同一五一号)、丸山勝樹(同一五二、一五三号)、橋本重之(同一五四号)、荒井裕史(同一五五号)、川井清一(同一五七号)、大道親雄(同一五八号)、平岡渡(同一五九号)、加藤敏秋(同一六〇号)、近藤千里(同一六二、一六三号)、井上美千代(同一七二、一七三号)、権世顔(同一八五号)、林暁(同一九〇ないし一九一号)、木元美文(同一一三九、一一四〇、一一四二、一一四八号)、濱中壽一(抄本、同一一六三号)、藤田千代子(同一一六六ないし一一六八号)、森川定雄(同一一七〇号)、丸川征四郎(同一一七一号)、中林眞佐子(抄本、同一一七四ないし一一七六号)、吉野貞子(同一一八五ないし一一八七号)、前切正(同一一九六号)、近藤一(同一一九七号)、近藤千鶴(同一一九八号)、嵯峨時重(同一二二一、一二二二号)、池田卓彌(同一二二三号)、木元美文(同一二五一、一二五二号)野田重雄(添付の領収証等の写を除く、同一二五三号)の検察官に対する各供述調書

一  山下忠男(一、二項、三項の一ないし七一行、添付書面一ないし一九枚目、同四二号)、山下忠男(一、二項、三項の一ないし六行、同四三号)、井上庫延(一、二項、添付書面一ないし四枚目、同八四号)、濱中壽一(一ないし七項、八項一ないし五二行、同一六四号)、野津秀子(一ないし一一項、同一七七号)、中塚真里子(一ないし六項、同一八〇号)、権世顔(一一ないし一四項を除く、同一八六号)、木元美文(五ないし七項及び添付書面、同一一四一号)、木元美文(三ないし一一項、同一一四三号)、木元美文(六丁裏の末尾から五行目から七丁の三行目、添付書面、同一一四四号)、木元美文(五ないし一〇項、添付書面、同一一四五号)、木元美文(六項、同一一四六号)、木元美文(一項、三ないし五項、同一一四七号)、木元美文(六ないし一一項、添付書面中の各小切手のコピー、同一一四九号)、木元美文(添付書面写、同一一五〇号)、渡邉皓元(添付の工事請負契約書、領収証等写、同一一五一号)、奥山昌明(添付の領収証、示談書写、同一一五二号)、奥山昌明(添付の領収証等写、同一一五三号)、奥山昌明(添付の領収証等写、同一一五四号)、濱中壽一(添付の普通貯金通帳、解約内訳、預金内訳のメモ、経費一覧表写、同一一六四号)、濱中壽一(添付領収証等写、同一一六五号)、中林眞佐子(添付の「北神営繕(株)における架空仕入及び架空経費の検討表」、同一一八〇号)、中林眞佐子(添付の「(有)二千商事における架空経費等の検討表」、同一一八一号)、大松照子(添付の「領収証(昭和五二年四月一二日付)」、「簡易決裁伺」各写、同一一八四号)、山下忠男(添付の四〇〇万円と三五〇万円の領収証二枚及び三、三三六、二五〇円の領収証、名刺、見積書、納品書の各写、同一一八八号)、山下忠男(添付の四〇万円の領収証の写、同一一八九号)、山下忠男(添付の三三三万六二五〇円の小切手の写、同一一九〇号)、前切正(添付の三、九三六、〇〇〇円の小切手、同額の領収証、示談書の各写、同一一九一号)、渡邉皓元(添付の工事請負契約書、領収証、請求書、契約台帳、見積書の各写、同一一九九号)、塩郷永治(添付の領収証等の写、同一二〇七号)、塩郷永治(添付の小切手の写、同一二〇八号)、野田重雄(添付の領収証等の写、同一二〇九号)、野田重雄(添付の小切手等の写、同一二一〇号)、野田重雄(添付の領収証等の写、同一二一一号)、井本訓右(添付の領収証等の写、同一二一二号)、井本訓右(添付の一覧表、同一二一三号)、井本訓右(添付の領収証等の写、同一二一四号)、奥山昌明(添付の表の抄本の写一一枚、同一二六九号)の検察官に対する各供述調書

一  関西信用金庫芦屋支店長小島一郎、六甲信用組合北神戸支店長前田英樹、三和銀行芦屋支店次長澤田尚、同銀行堂島支店次長有田征二、神戸信用金庫兵庫支店松野憲一、大場勝利作成の各確認書(同一一五五ないし一一五八、一二一五、一二二九、一二三〇号)

一  自賠未収入金台帳(抄)(弁一二〇号)、未収入金整理報告書(写)(弁一二一号)、未収入金個人調査表昭和五五年度(写)(弁一二二号)、昭和五三年度値引申請書(写)(弁一二三号)、昭和五四・五五年値引申請書(写)(弁一二四号)、昭和五二年度未収金取立不能報告(写)(弁一二五号)、昭和五二年度未収金取立不能報告(写)(弁一二六号)、昭和五四・五五年取立不能報告(写)(弁一二七号)、昭和五三年度取立不能報告(写)(弁一二八号)、昭和五四年度未収金個人調査表(写)(弁一二九号)、昭和五三年NO3未収金個人調査表(写)(弁一三〇号)、NO2未収金個人調査表(写)(弁一三一号)、NO1未収金個人調査表(写)(弁一三二号)、自賠未収金台帳(抄)(写)(弁一三四号)、境一燦外二名作成の修繕費・除却損・減価償却費集計表(弁一三五号)、佐藤貞夫作成の鑑定書(弁一四二号)、税理士境一燦外二名作成の近藤病院貸倒損失一覧表(弁二四九号)

一  大蔵事務官作成の各証明書(同七ないし一〇号)

一  同作成の各査察官調査報告書(同一一五九ないし一一六二、一一六九、一一七三、一一九五、一二一六ないし一二二〇、一二四七、一二四八、一二六六、一二六七、一二七一号)

一  検察官作成の各捜査関係事項照会書(同九七号の二)及び同謄本(同一三四、一三六、一三八、一二七三号の一)

一  尼崎市役所市民課(同九七号の三)、安田清高(同一三五号)、岡崎忠(同一三七号)、杉本武男(同一三九号)、松崎進(同一二三六号)、厚生省医事課長(同一二七三号の二)作成の各回答書

一  登記官作成の各登記簿謄本(同一一ないし二四号)

一  押収してある五二年度分確定申告決算資料綴一綴(昭和五六年押第二九二号の一)、五三年度分確定申告決算資料綴一綴(同押号の二)、五四年度分確定申告書綴一綴(同押号の三)

一  五二/一ないし五二/一二分病院一般経費領収書綴一二綴(同押号の四)、五三/一ないし五三/一二分病院一般経費領収書綴一二綴(同押号の五)、五四/一ないし五四/一二分病院一般経費領収書綴一三綴(同押号の六)、五二/六期決算資料綴一綴(同押号の七)、五三/六期決算資料綴一綴(同押号の八)、五四/六期決算資料綴一綴(同押号の九)、五一/一二、五二/一ないし五二/六分領収書綴七綴(同押号の一〇)、五二/七ないし五三/六領収書綴一二綴(同押号の一一)、五三/七ないし五四/六分領収書綴一二綴(同押号の一二)、五四/七ないし五四/一二分領収書綴六綴(同押号の一三)、五一/一一ないし五二/九分領収書綴一綴(同押号の一四)、五二/一〇ないし五三/九分領収書綴一綴(同押号の一五)、五三/一〇ないし五四/九分領収書綴一綴(同押号の一六)、五四/一〇ないし五五/九分領収書綴一綴(同押号の一七)、未収入金明細表四綴(同押号の二四三ないし二四六)、医薬品覚書ノート一冊(同押号の二四七)、薬品決裁等綴一綴(同押号の二四八)、受取書綴一綴(同押号の二四九)、昭和五三年確定申告分領収証書等一綴(同押号の二五〇)、不動産売買契約証書等四枚(同押号の二五一の一ないし四)、昭和五二年一〇月三一日現在未成工事支出金工事別報告書一綴(同押号の二五二)、昭和五三年一二月末現在未成工事支出金工事別報告書一綴(同押号の二五三)、工事台帳一綴(同押号の二五四)、契約台帳二冊(同押号の二五五の一、二)、工事受注報告書一綴(同押号の二五六)、昭和五四年度入退院名簿二綴(同押号の二五八)、祝儀袋等二綴(同押号の二五九、二六〇)、吉野先生(秘)封筒入書類七葉(同押号の二六一)、購入確認伝票一綴(同押号の二六二)、ノート一冊(同押号の二五七)、納品書、請求書綴二綴(同押号の二六三、二六四)、昭和五三年会計伝票一綴(同押号の二六五)、昭和五二年分補助元帳(同押号の二六六)、昭和五三年分元帳費用の部一綴(同押号の二六七)、昭和五四年分補助元帳(費用の部)一綴(同押号の二六八)、未収金個人調査表昭和五五年度一綴(同押号の二六九)、未収金入金明細書一綴(同押号の二七〇)、値引申請書二綴(同押号の二七一の一、二)、未収金個人調査表四綴(同押号の二七二の一ないし四)、未収金取立不能報告書五綴(同押号の二七三の一、二七三の二の一、二、二七三の三、四)、請求書綴控((有)二千商事)一綴(同押号の二七四)、北神営繕分医薬品出入帳一一綴(同押号の二七五の一の一ないし五、二七五の二の一ないし六)、北神営繕分決算整理資料一綴(同押号の二七六)、昭和五三年費用の部一綴(同押号の二七七)、五四/六期北神損益勘定元帳二綴(同押号の二七八の一、二)、五三・一ないし五三・一二納品書請求書綴北神二綴(同押号の二七九の一、二)、会計伝票一二綴(同押号の二八〇の一ないし一二)、昭和五四年分補助元帳(費用の部)一綴(同押号の二八一)、請求書(五二/七ないし五三/九)控一綴(同押号の二八二)、昭和五三年会計伝票一一綴(同押号の二八三の一の一ないし一一)、昭和五二年会計伝票一二綴(同押号の二八三の二の一ないし一二)、五二年分請求書一一綴(同押号の二八四の一の一ないし五、二八四の二の一ないし六)、請求書控等綴三綴(同押号の二八五の一ないし三)

同第二の事実全部について

一  被告人の検察官に対する各供述調書(同七六四ないし七六六、七六八ないし七七一号)

一  第七、第一〇、第一二回各公判調書中証人岸本敏夫の供述部分

一  第一四、第一八回各公判調書中証人岸本義信の供述部分

一  第一九、第二〇回各公判調書中証人大北武の供述部分

一  第二〇、第二一回各公判調書中証人山下長哲の供述部分

一  第二一、第二二回各公判調書中証人水上繁子の供述部分

一  第二二、第二三回各公判調書中証人杉山久子の供述部分

一  第二四、第二六回各公判調書中証人木元美文の供述部分

一  第二七回公判調書中証人塩郷永治の供述部分

一  第二九回公判調書中証人井上重由の供述部分

一  第三二、第三四回各公判調書中証人横田友二の供述部分

一  第三六回公判調書中証人平林浩太の供述部分

一  井上重由(同一〇八六、一〇八七、一一二八号)、石丸稔(同六七二号)、山口薫(同六七四ないし六七七号)、荻野佳子(同六八〇ないし六八六号)、横田友二(同六八七、六八八号)、平井正晴(同六八九、六九〇、一一二〇号)、高橋淳(同六九一号)、西馬恵子(同六九二ないし六九四号)、峯山富美代(同六九五号)、村田治彦(同六九六号)、塩郷永治(同一一三一号)、木元美文(同一一二二、一一二五号)の検察官に対する各供述調書

一  岸本敏夫(添付の一覧表写、同一〇五一ないし一〇五三号)、岸本敏夫(添付の「不法請求にかかるレセプトの明細と題する各一覧表写、同一〇五四、一〇五五号)、岸本義信(添付の一覧表写、同一〇九一ないし一〇九三号)、大北武(添付の一覧表写、同一〇九四ないし一〇九六号)、杉山久子(添付の表写、同一一〇二ないし一一〇八号)、水上繁子(添付の一覧表写、同一一〇〇、一一〇一号)、山下長哲(添付の表写、同一〇九七ないし一〇九九号)、岸本敏夫(二ないし五項、同一〇三四号)、岸本敏夫(一、二、二九項、同一〇三五号)、岸本敏夫(一、三、四、八ないし一一項、同一〇三六号)、岸本敏夫(一、二項、同一〇三七号)の検察官に対する各供述調書

一  横田友二ほか一名作成の意見書(同一一〇九号)

一  平井正晴ほか三名作成の計算書(同一一一八号)

一  兵庫県民生部長作成の捜査関係事項照会回答書(同二九二号)

一  兵庫県社会保険診療報酬支払基金幹事長杉田忠堅作成の捜査関係事項照会回答書(同二九三号)

一  兵庫県国民健康保険団体連合会理事長宮崎辰雄作成の各捜査関係事項照会回答書(同二九五ないし二九七、二九九、三〇一、三〇三、三〇五号)

一  兵庫医科大学人事課作成の人事記録簿の写(同二九四号の二)

一  検察官作成の「兵庫県国民健康保険団体連合会から支払を受けた診療報酬の内訳」と題する書面(同一一一〇号)

一  検察官作成の各捜査報告書(同一一一一、一一一七号)

一  検察事務官作成の各捜査報告書(同一一一二ないし一一一五、一一二一号)

一  神戸市北区長岡崎典昭作成の各捜査関係事項照会回答書(同三四六、四九六、五〇六、五〇九、五一四、五二一号)

一  兵庫県国民健康保険団体連合会理事長宮崎辰雄作成の各捜査関係事項照会回答書(同三四七、三八八、三八九、四九七、五〇七、五一〇、五一七、五二二号)

一  押収してある兵庫県国民健康保険団体連合会例規集一冊(同押号の一八)、国民健康保険診療報酬総括表四八枚(同押号の一九)、手帳五冊(同押号の二三八ないし二四二)

同第二の一の事実について

一  被告人の検察官に対する供述調書(同七六七号)

一  井上里美(同七三九、七四〇号)、木元美文(一一二三、一一二四号)、井上重由(同一一二六、一一二七、一一二九、一一三〇号)の検察官に対する各供述調書

一  検察官作成の各捜査報告書(同三九七、一一一六号)

一  検察事務官作成の捜査報告書(同三三一号)

一  常石敏雄の検察官に対する供述調書(同三六三号)

一  神戸市北区長岡崎典昭作成の各捜査関係事項照会回答書(同三一四、三一六ないし三一八、三二〇、三二二、三二五、三三三、三三六、三三七、三三九、三四〇、三四三、三四四、三五一、三五三、三五七、三五八、三六四、三六七、三七三ないし三七八、三八一、三八三、四〇〇ないし四〇五、四〇七、四一〇、四一二ないし四一四、四一六、四一八ないし四二〇、四二四ないし四二七、四三五、四三九、四四一、四四二、四四四、四四八、四五〇、四五二、四五四、四五九ないし四六二、四六五ないし四六八、四七一、四七五、四七六、四八四、四八五、四八七、四九一、四九二、五〇〇ないし五〇二、五〇四、五一二号)

一  兵庫県国民健康保険団体連合会理事長宮崎辰雄作成の各捜査関係事項照会回答書(同三一五、三一九、三二一、三二三、三二六、三二八、三三四、三四二、三四五、三五二、三五四、三五六、三六〇、三六二、三六五、三六八、三八〇、三八二、三八四、三八七、三九一、三九三、三九五、三九九、四〇八、四一一、四一五、四一七、四二一、四二三、四三〇、四三六、四三八、四四〇、四四五、四四七、四四九、四五一、四五三、四五五、四五七、四六四、四七四、四七九、四八九、五〇三、五〇五、五一三号)

一  兵庫県三田市長塔下真次作成の各捜査関係事項照会回答書(同三一三、三三五、三五五、三九二、四二九、四四六、四七二、四七三、四八二、四九〇号)

一  兵庫県美嚢郡吉川町長清原佳春作成の各捜査関係事項照会回答書(同三二九、三四一、三五九、三六一、三七九、三八五、三八六、四〇六、四五六号)

一  尼崎市長野草平十郎作成の各捜査関係事項照会回答書(同三二七、三三〇、三六九、三九〇号)

一  神戸市長田区長三井一男作成の各捜査関係事項照会回答書(同三九八、四三七、四八八号)

一  本多正作成の各捜査関係事項照会回答書(同四二二、四四三、四九三号)

一  神戸市兵庫区長新銀順市作成の各捜査関係事項照会回答書(同四三一ないし四三四号)

一  兵庫県多紀郡今田町長藤本潜作成の捜査関係事項照会回答書(同三二四号)

一  西宮市国民健康保険課長入江千之作成の各捜査関係事項照会回答書(同三三八、四七七、四八〇号)

一  神戸市東灘区長石田治作成の各捜査関係事項照会回答書(同三七〇、三七一号)

一  兵庫県建設国民健康保険組合常務理事篠原弘作成の各捜査関係事項照会回答書(同三九四、三九六号)

一  神戸市灘区長向井章作成の各捜査関係事項照会回答書(同四〇九、四七八号)

一  兵庫県川西市長伊藤龍太郎作成の各捜査関係事項照会回答書(同四六九、四八三号)

一  神戸市民生局厚生部保険年金課長新林努作成の各捜査関係事項照会回答書(同四七〇、四八六号)

一  兵庫県加古川市長中田敬次作成の捜査関係事項照会回答書(同三三二号)

一  藤井勝夫作成の捜査関係事項照会回答書(同三七二号)

一  兵庫県西脇市長高瀬信二作成の捜査関係事項照会回答書(同四二八号)

一  林久男作成の捜査関係事項照会回答書(同四五八号)

一  社町長石古勲作成の捜査関係事項照会回答書(同四六三号)

一  神戸市食品衛生国民健康保険組合理事長岩田年長作成の捜査関係事項照会回答書(同四八一号)

一  神戸市垂水区長坂本典昭作成の捜査関係事項照会回答書抄本(同四九五号)

一  押収してある診療報酬請求書控二綴(同押号の二〇七、二〇八)、診療報酬明細書控綴一二綴(同押号の二一三ないし二二四号)

同第二の二の事実について

一  第三〇回公判調書中証人坂本哲也の供述記載

一  坂本哲也の検察官に対する各供述調書(同一〇八八、一一三二、一一三三号)

一  検察官作成の各捜査報告書(同五二〇、五三四、五九六号)

一  神戸市北区長岡崎典昭作成の各捜査関係事項照会回答書(同三五〇、五一五、五一六、五二四、五三〇、五三一、五三五、五三六、五三九、五四四、五四七、五四八、五五四、五五五、五六二、五六四、五七〇、五七三、五七五、五七七、五八六、五八七ないし五八九、五九四、五九七、五九八、六〇四、六〇八、六〇九、六一一、六一八、六二五、六二七、六二九、六三七、六四〇、六四三、六五二ないし六五四、六五六、六五八、六六三、六六八なしい六七一号)

一  兵庫県国民健康保険団体連合会理事長宮崎辰雄作成の各捜査関係事項照会回答書(同三四八、四九八、四九九、五〇八、五一一、五一八、五一九、五二五、五二七、五三二、五三八、五四〇、五四一、五四五、五五〇、五五一、五五三、五五七、五五九、五六一、五六三、五六五、五六七、五七一、五七四、五七六、五七八、五八〇ないし五八二、五八五、五九一、五九三、五九五、六〇〇、六〇五、六〇七、六一二、六一四、六一九、六二二、六二四、六二六、六二八、六三〇、六三三、六三五、六三九、六四一、六四四、六四六、六四八、六五一、六五五、六五七、六五九、六六七号)

一  兵庫県三田市長塔下真次作成の各捜査関係事項照会回答書(同五二三、五二八、五五二、五五八、五七九、五八三、五八四、五九九、六〇一、六二〇、六二三、六三二、六四五、六六六号)

一  兵庫県美嚢郡吉川町長清原佳春作成の各捜査関係事項照会回答書(同三八六、五二六、五四六、六〇三、六一三、六一五、六六四、六六五号)

一  西宮市国民健康保険課長入江千之作成の各捜査関係事項照会回答書(同五七二、六〇二、六二三、六四二、六四九、六五〇号)

一  神戸市民生局厚生部保険年金課長新林努作成の各捜査関係事項照会回答書(同五二九、五六六、六三六、六六二号)

一  神戸市東灘区長石田治作成の各捜査関係事項照会回答書(同六六〇、六六一号)

一  神戸市長田区長三井一男作成の各捜査関係事項照会回答書(同五六〇、六三八号)

一  神戸市兵庫区長新銀順市作成の各捜査関係事項照会回答書(同五六八、五六九号)

一  神戸市垂水区長坂本典昭作成の各捜査関係事項照会回答書(同五四三、六一六号)

一  兵庫県多紀郡篠山町長藤井正一作成の捜査関係事項照会回答書(同五九〇、六一〇号)

一  兵庫県西脇市長高瀬信二作成の捜査関係事項照会回答書(同六四七号)

一  林久男作成の捜査関係事項照会回答書(同五三三号)

一  兵庫県川西市長伊藤龍太郎作成の捜査関係事項照会回答書(同五四九号)

一  兵庫県明石市市民生活部保険年金課長森田尚敏作成の捜査関係事項照会回答書(同五三七号)

一  兵庫県多紀郡丹南町長河南貞夫作成の捜査関係事項照会回答書(同五五六号)

一  神戸市中央区長田渕栄次作成の捜査関係事項照会回答書(同五九二号)

一  兵庫県小野市長井上増吉作成の捜査関係事項照会回答書(同六〇六号)

一  神戸市垂水区伊川谷出張所長奥田拓治作成の捜査関係事項照会回答書(同六一七号)

一  兵庫県三木市長大原義治作成の捜査関係事項照会回答書(同六二一号)

一  兵庫県氷上郡山南町長木戸源治郎作成の捜査関係事項照会回答書(同六三一号)

一  押収してある診療報酬請求書控二綴(同押号の二〇八、二〇九)、診療報酬控一綴(同押号の二一〇)、診療報酬請求控一綴(同押号の二一一)、診療報酬請求書写一綴(同押号の二一二)

第一  被告人及び弁護人ら(以下単に弁護人らということがある。)は、判示第一の一ないし三の各事実について、被告人の当該年度の事業所得の金額に関し、損益計算書上の多数の項目を争っているので、その要点について当裁判所の判断を示すことにする。

一  収入金除外について

昭和五二年 一一、九四七、六六〇円

同五三年 七三、七八三、〇九八円

同五四年 五一、九四九、三五二円

検察官は、昭和五二ないし五四年において、被告人の事業所得の収入につき、収入金除外、貸倒金の仮装計上があり、その合計が右のとおり(その内訳は別紙(九)の収入金増減内訳のとおり。)であることを主張し、弁護人らは、このうち、同五二年(項目番号は別紙のもの。この点は、「原材料仕入高」以下の各項目についても同様である。)

1  収入金除外・謝礼金 一一、九四七、六六〇円

同五三年

1  収入金除外・謝礼金 一一、九七〇、〇〇〇円

同五四年

1  収入金除外・謝礼金 一一、九七〇、〇〇〇円

2  収入金除外・同 三六五、〇〇〇円

は、検察官においては被告人が患者から右の金額の謝礼金を受け取りながら収入から除外していたというが、これは被告人個人に帰属するものではなく、それを近藤病院所属の全医師で組織する互助団体である「近友会」のものとして積立て、全医師の共済基金にあてていた。もともと、社会通念上、このような謝礼金は医療収入に含まれないから、仮に被告人が部分的に何らかの権利を保有していたとしても、課税対象になるとは思っておらず、犯意を欠く。

同五三年

2  仕入割戻除外・北神営繕経由 六一、八一三、〇九八円

は、後記二の原材料仕入高の同五二年2についてと同旨。

同五四年

3  仮装計上・貸倒金 三九、六一四、三五二円

は、一部、現実に貸倒の事実があり、その金額は、結局、押収してある未収入金明細表一綴(昭和五六年押第二九二号の二四三。以下、同種のものは単に二四三というように記載する。)記載の未収入金中、同五四年末で貸倒処理を相当とする別紙(一〇)記載の合計一六三口、金額合計五五、三二七、四二四円(税理士境一燦外二名作成の近藤病院貸倒損失一覧表<弁護人の請求番号二四九。以下同種のものは単に弁二四九というように記載する。>と同内容)であると主張する。

Ⅰ 同五二年1、同五三年1、同五四年1、2の各収入金除外・謝礼金について

この点について、被告人の供述書(第一ないし第三〇回。弁一六七、二〇八、二〇九ないし二一一、二一六ないし二二一、二二四ないし二二六、二二八ないし二三〇、二三三ないし二三八、二四四ないし二四八、二五一、二五四)、及び第一一六ないし一二七、一二九回各公判調書中被告人の供述部分(以下単に被告人の供述という。)では、第一回査察事件後、かねて近藤病院の医療や運営に関与していた兵庫医大第二外科の伊藤信義教授が中心となって設立した近藤病院の近友会という医師の組織があり、その資金は患者からの謝礼金と製薬会社からの新薬のデータ提供による謝礼金のプールであり、事業としては第一回査察事件の罰金相当額を被告人に貸与したり、ゴルフコンペを主催したりし、資金の出納は伊藤が自分の裁量で行い、金銭出納簿も伊藤が記載して保管していた。そして、近藤病院の事務員大松照子の協力を得て野村証券神戸支店でファミリーファンドに松岡けい子名義で加入し、金員を積立てしていた。被告人は伊藤から、日本医師会の政治同盟有志の意見として、大蔵省は、一応患者からの謝礼金は事業主所得になるが、暗に課税の対象から外していると聞いていた。国税局の査察官のなかにも、謝礼金は課税対象にしない旨発言した者もある。近友会の存在について、従業員一般はあまり知らないが、近友会会長である黒木輝夫医師は近友会の名はともかく、謝礼金のプールのことは知っていた。謝礼金ののし袋は、被告人の所有物でないので、後の証拠のために保管してあった。その金額を被告人が変更したり、書き加えたのは、新薬を患者に使用して医薬品会社にデータを送ったとき、会社から来る謝礼の金額をのし袋の裏にメモ代わりに記載して一括処理したものである旨などを述べている。

証拠ことに祝儀袋(弁二〇)、第六一回公判調書中証人大松照子の供述部分(以下、同種のものは単に証人名のあとに六一というように記載する。)等によると、被告人の経営していた近藤病院において、診療、手術等を受ける患者の中に、被告人あるいはその妻である医師近藤千里を含めた勤務医師の医療行為に対して、謝礼を渡した者があり、被告人は、その金銭(関係警察署長からの薄謝五、〇〇〇円を含むとみられる。)の中から、前記各金額を野村証券神戸支店の架空の松岡けい子名義の口座に積立て(但し、別に三六五、〇〇〇円は査察官の強制調査の当時現金で保管)していたことが認められる。

これについて被告人は、検察官に対する供述調書中では、謝礼金が自己の収入であるのに除外していたことを認めていたが、公判では、弁護人らの主張に沿う供述をしているところである。

そして、証拠ことに近友会特別資金規定と題する書面、祝儀袋、祝儀袋に関する調査メモ、各入退院名簿(写)、医師日程と題するメモ(弁二〇〇ないし二〇四、二一五)等によると、近友会という名称は、被告人が主催したゴルフコンペに用いられたことが認められるが、近友会特別資金規定(弁二〇〇の綴り中にある。)はその成立経過が不明であり、黒木輝夫の検察官に対する供述調書(検察官の請求番号一一八。以下、同種のものは単に一一八というように記載する。)によると、被告人が近友会の会長であるという黒木輝夫は、同会の存在を知らず、前記綴中の被告人作成の近友会代表黒木輝雄(輝夫の誤記)あての借用金証書も、黒木が近友会を知らないことなどから、真実被告人と近友会との間に法律上の貸借関係を生じるようなものとは考えがたく、また、前記証人大松照子(六一)、証人木元美文(一五一、一五二)によると、当時の病院監理局長である木元美文も同会のことを知らず、当時この金員を被告人から受け取り、野村証券の係員に渡していた事務員の大松照子も、この資金が近友会のものであると認識していなかったことが認められ、伊藤信義はすでに死亡していて、その点の供述を得ることはできない。このような証拠関係のもとでは、近友会が資金の帰属主体としての実質を持っていたことは認めがたく、この積立金等が近友会に帰属すると認定することもできない。

そして、元来、医療行為に対する謝礼は、医療行為の直接の対価ではないとしても、医療行為に基づく所得である以上、特別の規定等がない限り、医療収入として課税対象となるものと考えられる。また、病院経営者が、病院の設備を整え、雇用契約等により多数の医師を使用して医療にあたっている場合、医師の医療行為は経営者のする役務提供であるから、患者からの謝礼による収入は、病院経営者に帰属するものである。してみると、謝礼に関連したのし袋に、被告人以外の近藤病院勤務の医師の名前があったかどうか、あるいはその記載金額の訂正の有無を問わず、更には、これが病院経営者によって近友会その他の名義に積立られたかどうかを問わず、この収入が病院経営者の課税の対象外になるということはできない。

弁護人らは、被告人には脱税の犯意がないと主張するけれども、第一回公判調書中被告人の供述部分によると、被告人は「脱税したことは認めますが、金額はそれ程多くありません。」との旨述べ、公判廷においても、当初は脱税の故意があったことを認めていたのであり、被告人の検察官に対する各供述調書(二四七ないし二五〇、二五五、二五六等)によると、被告人は、本件年度中の各確定申告の金額が、実際の所得金額よりも低いこと、その理由は架空仕入、架空経費、経費水増しにあることを認識し、脱税の動機としては、昭和四七年の査察直後から県の医務課、保健所、消防署から病院の待合ロビーの拡張や手術室の改造、北館の改造を要求されまた、「有野川をきれいにする会」からは浄化槽の新設を求められ、また、同四九年に起訴されたため、罰金、修正申告による本税、重加算税、延滞税の支払に備えて、合計四ないし五億円が必要であったことから、あえて脱税を重ねたこと、その手段としては監理局長の木元美文らに具体的に薬品名を示して架空仕入を指示し、これに基づき北神営繕における架空仕入、その薬品についての近藤病院における架空仕入の方法による経費計上等が実行されたこと、また、被告人は、右のような動機から、当該年度の申告所得を真実より低い一定の金額に押さえるように顧問税理士や経理部長の奥山昌明らに指示し、この者たちがこれに応じ、前記架空仕入のほか、北神営繕に対する仕入割戻除外、仮装貸倒金の計上、建物新築、増改築に際する資本的支出分の経費計上等多くの不正な経理上の手段を講じて所得金額の減縮をはかっているのを認識、是認していたことが認められ、この謝礼金に関しても、謝礼ののし袋に記載された金額を過大に書き改めたり、近友会が実態のある団体であるように装うなどしており、これが自己の所得に含まれることを知らなかったものとは考えられず、このような認識がありながら、その税務申告を敢えてしなかった以上、脱税の故意があったことは明らかである。

そして、このような脱税の故意がある場合、原則として、過少に申告した税額と、正当な税額との差額について被告人にほ脱の故意を認めるべきであり、例外として、被告人らが講じた不正の手段と因果関係のない事情によって過少な税額の申告に至った分については、これをほ脱の金額から除外するのが相当であると考えられる。

このような見地からすると、謝礼金の除外について被告人に故意があることは明らかであり、これによる公表の所得の減少分について不正の手段との因果関係のあることも十分認められる。

被告人の供述(一二七)は、「前記冒頭の供述は、正確に言えば北神営繕の金になるかも知れない。」旨、供述の趣旨を訂正しているが、従来の供述を変更する合理的な理由は明らかでなく、この供述があるからといって、右の故意に関する認定を変更すべきものとは考えられない。

Ⅱ 同五四年3の仮装計上・貸倒金について

検察官は、被告人は同五四年分の収入から、貸倒分として第一次に三二、七七一、六一三円を控除しようとしたが、これでは所得申告額を十分減額できなかったので、第二次に三九、六一四、三五二円を加え、結局合計七二、三八五、九六五円を控除しているが、このうち第二次の三九、六一四、三五二円は未収入金台帳から無差別に選んだもので、貸倒の要件を欠くものである旨を主張しており、なお、検察官の同六一年三月六日付の釈明書では、近藤病院の経理部長である奥山昌明は、押収してある同五三年末未収入金明細表(二四三)の残高合計一三五、三七〇、五四五円のうち第一次に三二、七七一、六一三円を抽出して所得金額から減額したが、更に被告人から四〇〇〇万円位を減額するよう指示されて、残りの未収入金の中から無差別に抽出して第二次に合計三九、六一四、三五二円を減額した。この第二次減額分が起訴にかかる架空計上であるが、第一次第二次とも減額の対象となった個別的債務は確定申告書にも添付がなく、債務を特定することは困難である旨主張していた。

これに対して弁護人らは、右奥山の供述は信用性がなく、実際に貸倒に該当するのは、結局前記の一六三口、金額合計五五、三二七、四二四円であると主張しているものである。

この点につき、被告人の公判廷の供述及び供述書では、奥山が検察官に対し未収金の二重落としがあると供述し、検察側が未収入金明細表等を十分検討せず、奥山の供述のみによって起訴したが、奥山は病院の資金等についての横領行為などもあり、その供述は信用できないこと、その後弁護人らは未収入金明細表等をもとに検討し、弁護人らの冒頭陳述書その二のとおり(のち前記の近藤病院貸倒損失一覧表で追加したものがある。)、結局同五四年分の貸倒金一六三口(その金額は合計五五、三二七、四二四円となる。)を主張することなどが述べられている。

証拠ことに証人奥山昌明(二三、二五、二八、三一、三三、三五、三七、三九、四一、四四、四六、四八、五〇、一四五ないし一四八)、同門長貫一(九二ないし九四)、同田口広一(九四、九五、一〇一)、同内野恭介(一五四)、同垂井英夫(一五四)、査察官作成の調査報告書(一二七一)、押収してある同五四年末未収入金明細表、同五三年末未収入金明細表、未収入金個人調査表、未収入金明細書、報告書、値引き申請書二綴、未収入金個人調査表四綴、取立不能報告書五綴(二四三、二四四、二六九、二七〇、二七一の一、二、二七二の一ないし四、二七三の一ないし五)、未収入金整理報告書写し(弁一二〇ないし一三二、一三四)等によると、右第一次分中にも貸倒の要件を欠いたものがあり、また第二次分中にも貸倒と認めるべきものがあって、結局、別紙(一〇)の貸倒一覧表の一六三口、合計五五、三二七、四二四円のうちで、○印を付した

一四一口 合計四〇、四一二、四四六円

が経費処理すべき金額であると判定するのが相当である。

そして、○印を付さなかった二二口は、次のような理由で、貸倒等は発生していないと考えられる。

進行番号31の大柴敏光分につき、弁護人らは、昭和五五年七月に入金があるが、同五四年末で所得税法基本通達(以下基通という。)五一-一三に該当するというけれども、この通達によっても、単に取引停止後一年を経過したというだけでは足りず、債務者の資産状況、支払能力等の悪化により取引を停止したことを要すると考えられるところ、大柴に対する債権は、自動車事故被害者の治療に関する診療報酬債権であり、自動車損害賠償責任保険によって被害者請求ができることなどから、患者の資産状況、支払能力等の悪化で貸倒となることは例外的であると考えられる。本件では、同五三年一二月一二日に、加害者から念書を取り、損害保険会社に加害者請求をさせ、その後債権額を回収しているものであるが、結局被害者の支払能力等の悪化により取引を停止したものにはあたらない。

番号38の久保義平分につき、弁護人らは、同五五年六月に入金があるが、同五四年末で基通五一-一三に該当するというけれども、債務者の資産状況、支払能力等の悪化により取引を停止したことを認定するに足る資料がない。

番号81の松永花子分につき、弁護人らは、基通五一-一三に該当するというが、債務者の資産状況、支払能力等の悪化の事実が明らかでない。

番号85の佐野淑子分につき、弁護人らは、取立不能、同五四年末所在不明と主張するが、同五五年八月分五、〇〇〇円を入金しており、所在不明とすべき事実や、債務者の資産状況、支払能力等の悪化の状況も明らかでない。

番号95の田中誠分につき、弁護人らは、最終入金時の同五四年九月一三日に残を値引きした旨、あるいは、最終入金後一年以上経過し、基通五一-一三に該当する旨を主張するが、診療報酬についても、例えば医療過誤、過剰医療等の値引きを相当とする事情があって値引きした場合は、これを経費に算入できると考えられるけれども、この件につき、証人門長貫(一九二)は、保険者である小野農協の担当者に粘られて値引きした旨述べるものの、前記台帳類には債権がある旨を記載し、値引きについては記載しておらず、値引きしたことを認めるに足る証拠はなく、また、債務者の資産状況、支払能力等の悪化の事実も認めがたく、基通五一-一三に該当するということもできない。

番号100の柴田美幸につき、弁護人らは、同五五年七月に入金があるが、五四年末で基通五一-一三に該当するというが、債務者の資産状況、支払能力等の悪化の事実が明らかでない。

番号105ないし108の吉田四名分につき、弁護人らは、同五五年三月入金があるが、同五四年末で基通五一-一三に該当するというが、債務者の資産状況、支払能力等の悪化の事実が明らかでない。

番号109の塩郷永治分につき、弁護人らは、万亀園園長につき免除(値引き)したというが、同人の個人負担分を免除したものと認められるところ、これは被告人の事業上の必要経費にあたらず、なお福利厚生費にも該当しないと考えられる。

番号126の藤本寿勝分につき、弁護人らは、同五三年六月四日、健康保険本人に切り替え入金済みで、取消すべきものというが、初診時から健康保険本人に切り替えており、収入と重複して計上したとは認められず、この場合貸倒等として収入から減算する理由がない。

番号130の原田和枝分につき、弁護人らは、基通五一-一三に該当するというが、支払は品物で済ませるように交渉しているところ、債務者の資産状況、支払能力等の悪化の事実が明らかでない。

番号131の前畑君代分につき、弁護人らは、行方不明で取立不能というが、同五三年一二月と五四年一月に各三、〇〇〇円の入金があり、行方不明の事実や、債務者の支払能力の悪化の事実が明かでない。

番号132の森哲也分につき、弁護人らは、基通五一-一三に該当するというが、同五五年九月一〇日以降毎月三〇、〇〇〇円を入金しており、、債務者の資産状況、支払能力等の悪化により取引を停止したことを認めるに足りない。

番号145の中山和久分について、弁護人らは、未請求につき不存在というが、前記台帳類には債権がある旨を記載してあり、債権の不存在の事実が明らかでない。

番号147の河東ひとみ分について、弁護人らは、日新火災との交渉による値引きであるというが、前記台帳類には債権がある旨の記載があり、値引きの記載はなく、値引きの事実が明らかでない。

番号151の田中幸子分について、弁護人らは、未請求との旨いうが、前記台帳類には債権がある旨が記載されており、未請求であることを認めるべき事情が明らかでない。

番号153の藤原好文分について、弁護人らは、未請求、または基通五一-一三に該当というが、未請求であるとの事実関係は認められず、また債務者の資産状況、支払能力等の悪化により取引を停止した事実は認められない。

番号154の野津美枝分についても、番号153と同様である。

番号156の今村至宏分について、弁護人らは、同五四年一一月二八日の最終入金時に残金を値引きしたというが、前記台帳類には債権がある旨が記載され、値引きの記載はなく、値引きの事実が明らかではない。

番号157の中根勝広分について、弁護人らは同五四年六月一二日の最終入金時に残金を値引きしたものというが、値引きが確定した年度は同五五年であると認められる。

また、上記一六三口中、検察官が貸倒を否定していた五四口のうち、当裁判所は三二口の貸倒を肯定したが、その理由は、(1) 病院が診療報酬を自動車損害賠償責任保険金で支払を受けるに際して、事実上の支払者である各保険会社、農協との間で、医療過誤、過剰診療その他の問題を含めて交渉の上、診療報酬の単価訂正その他の形で値引きが行われた場合には、経費として認めるのが相当であり、債務者に対する贈与や寄付にあたるとすべきではないと考えられること、(2) ダム建設による補償金以外に資金の見込みがない債務者が、ダムによる土地買収対象にならないことが判明したとき、あるいは同四八年ころ債務者が死亡しているときは債務者に支払能力がないというべきであること、(3) 債権として計上すべきでないものを誤って計上したものは控除を許すべきであることなどである。

以上の結果により、被告人が同五四年の収入から貸倒金名目で控除した前記七二、三八五、九六五円から、同年中の経費に計上できる四〇、四一二、四四六円を差し引くと、架空計上は三一、九七三、五一九円であり、検察官主張よりも七、六四〇、八三三円減少するから、

貸倒金(同五四年)

認定貸倒金等 七、六四〇、八三三円

である。

Ⅲ 同五三年2の仕入割戻除外・北神営繕経由については、次の二の原材料仕入高の同五二年2であわせて判断する。

二  原材料仕入高について

昭和五二年 三九四、一一二、八二八円

同五三年 三五二、二〇三、二九〇円

同五四年 二九九、八五三、〇一二円

検察官は、昭和五二ないし五四年において、被告人の原材料仕入高の架空計上、仕入割戻除外、仕入過大計上、仕入値引過大計上、仕入割戻過大計上、簿外仕入があり、その差し引き合計が右のとおり(その内訳は別紙(一一)の原材料仕入高増減内訳のとおり。)であることを主張し、弁護人らは、

同五二年につき

1  架空計上・北神営繕経由 三〇九、四五八、九一〇円

は、北神営繕が検察官主張の架空仕入をしたことは認めるが、これと被告人が架空仕入をしたかどうかは別問題であり、近藤病院は、簿外で実際に北神営繕からこれに近い金額の医薬品を仕入れている。

2  仕入割戻除外・北神営繕経由 三三、八三五、一一七円

は、北神営繕は近藤病院に対する架空販売額を取り消すための方法として仮装計上したに過ぎず、近藤病院としては割戻は受けていない。あるいは、北神営繕での売上割戻に対応する仕入割戻がなされていないことは、被告人、近藤病院経理部長の奥山昌明、税理士の権世顔とも知らなかったもので、被告人が受入記帳をしないように指示した事実もないから、これは単に北神営繕の架空記帳である。

3  仕入過大計上・北神営繕経由 四〇、八一八、八〇一円

は、近藤病院では現金主義で記帳しているので、税務申告にあたり、これを発生主義に引き直して計算し計上するが、経理係は前年分の所得計算にあたり当該仕入額を正しく発生主義に引き直して計上しながら、本年分の計算にあたりこれに気付かず、本年度に発生したものと誤り計上し、結果として重複計上となったもので、所得の帰属時期につき近藤病院の経理係が誤って処理したことに基因する過誤申告である。したがって、被告人には犯意がない。

4  架空計上・みはら薬局 五、〇〇〇、〇〇〇円

は、架空計上を認めるが、当該金額を他の必要経費にあてている。

同五三年につき

1  架空計上・北神営繕経由 四八五、一二九、六一〇円

のうち、

カ 山下薬品 一二・四 三、三三六、二五〇円

は、実仕入である。その他は、同五二年の1と同様である。

3  簿外仕入・北神営繕経由 △一六、五七〇、九五〇円

は、北神営繕からの簿外仕入は、この金額にとどまらない。

4  架空計上・吉川敏商店 九・二七 一、〇〇〇、〇〇〇円

は、他の現金問屋からこれに相応する医薬品を仕入れている。

同五四年につき

1  架空計上・北神営繕 四六五、五一〇、五〇〇円

のうち、

ア みはら薬局 一・二五 二、四二五、〇〇〇円

キ 山下薬局 七・一〇 五、〇〇〇、〇〇〇円

は実仕入である。その他は、同五二年の1と同様である。

4  簿外仕入・北神営繕 △一一、二九一、一二七円

は、北神営繕からの簿外仕入は、この金額にとどまらない。

5  架空計上・共栄薬品 八・一〇 一、〇一七、五〇〇円

九・一九 二、五〇〇、〇〇〇円

は、実仕入である。

6  架空計上・岸薬品 三・一三 五〇〇、〇〇〇円

は、架空であるが、他の現金問屋から現実に仕入れている。

旨を主張する。

これらの点について、被告人の供述書は、弁護人らと同趣旨を詳細に述べている。

Ⅰ 簿外仕入の直接の証拠について

この点について、被告人の供述書は、(1)岡本美子、松本洋助、山下忠男が捜査中に現金仕入を認める供述をしていること、現金仕入先から領収書が得られず、小切手で支払って証拠を残すこともできないので、みはら薬局(松本洋助)、山下薬品(山下忠男)を経由することで証拠を残そうとしたこと、(2)近藤病院のグロブリン製剤使用量は多かったが、証人足立佳代子らの看護婦は医薬品仕入の全貌を知り得ない立場にあったこと、(3)木元日誌の記載ことに昭和五二年五月一一日、一一月一五日、一一月一七日、同五三年三月六日、五月一六日、五月二〇日、六月二〇日、同五四年三月一九日、八月二八日、一一月二七日の記載などから、現金仕入を認めるべき資料はあったが、被告人側が数量的にこれを示すことができないため、結局検察官はごく一部しか簿外現金仕入を認めなかったこと、(4)現金仕入は第一回の査察事件の多本グループからの仕入のころからあったこと、(5)北神営繕薬販部の医薬品出入帳があり、これは押収され、同五六年九月一〇日から一一日の総合医療調査では監査官から、この出入帳の記載は自然であると言われたこと、(6)現金仕入のメモは査察の入る七日位前に焼却し、現金問屋が被告人不在のときに残した領収確認メモを池田税理士に渡したことなどを述べる。

弁護人ら主張の簿外仕入の存否については、証拠ことに証人木元美文(五三ないし五五)、同中林眞佐子(五九、六〇)、同岡本美子(一三〇、一三一)、同奥山昌明(二三、二五、二八、三一、三三、三五、三七、三九、四一、四四、四六、四八、五〇)、木元美文(一一二二ないし一一二五、一二五一、一二五二)、吉野貞子(一一八五ないし一一八七)、中林眞佐子(抄本。一一七四ないし一一七六内容確認)の検察官に対する各供述調書等があり、このうち、証人木元美文によると、被告人は、同五二ないし五四年の期間中において、簿外資金の調達のため、監理局長の木元や経理部長の奥山に指示して、現物を示さないまま仕入を計上させ、この方法として木元に対し、毎月、決裁薬品というメモに医薬品の種類、数量、合計金額等を記載して渡していたが、そのうちに金額を書かなくなり、あるいは年末などに、今月は多くしておいてくれという指示をするようになったことが認められ、このような被告人の言動は、このいわゆる決裁薬品に相当する薬品を実際に仕入れたのかどうかを疑わせるものと考えられ、また、証人吉野貞子によると、薬局長である吉野は、決裁薬品と題するメモについて、その数量自体あるいはこれを保管するには冷蔵庫が不足すること等からみて架空のものと見ていること、同人は、事件の捜査中に被告人から、押収してある吉野先生マル秘封筒入りの文書(二六一)を人を介して受け取ったが、仕入れに関して事実に反することを記載してあるので、その内容どおり捜査官に述べることはしなかったことなどが認められる。

右の被告人の供述書の記載の(1)については、証人岡本美子(一三〇、一三一)によると、国税局で事情を聞かれる前に、院長が外来の冷蔵庫を開けて見せ、こういうふうにヴエノグロブリンは買っているから、そう言ってくれと言われたこと、また、岡本は病院で使う薬全部を把握していたのではなく、詰め所が、薬局にない薬を取りにくることがあり、岡本としては、それはどういうルートから都合されていたか分からなかったこと、松本洋助、松本泰子の検察官に対する各供述調書(二六ないし三〇)によると、松本洋助は被告人に対し取引の伴わない白紙の領収書等を交付していたことが認められるほか、右松本らの供述調書によると、松本は、同五三年二月から同五四年一月にかけての一〇回の取引約二八〇〇万円については、被告人の依頼により、木下という男が松本の事務所に持ってくるダンボール箱四ないし八個をその都度中身を確かめずに被告人に渡し、被告人の渡してくれる現金を当日か翌日に松本の事務所で木下に渡した。領収書は松本が被告人あてに出し、木下からはもらっていない。この手数料は被告人から小切手で七万円もらっていたと述べ、今福は、月に二、三回被告人の自宅に薬品を搬入し、お手伝いさんに渡していたと述べ、山下忠男の検察官に対する供述調書(四二、四三)は、同五三年一〇月末にコアキシン、同五四年一月末にもコアキシン、同五四年三月二七日ころソランタールとリンコシンを実取引し、同五四年三月二七日の代金は、一、五四五、〇〇〇円であると述べ、証人濱中壽一(五八)は、前に検察官に対する供述調書(不同意分)で述べた現金買い二〇〇ないし三〇〇万円というのは公表の分であるが、そのほかに簿外で現金買いがあることは、うわさの程度で聞いていた。院長室に薬が置いてあるのはしばしば見た。飾り棚のような棚の下に、ダンボールが二、三個重ねてあった。院長の自宅の上がり口にも置いてあったのを見ている旨を述べ、証人木村すみ枝(一三五)、同岡本美子(一三〇、一三一)も、置いてあったことを供述し、証人近藤千里(八三、八四)は、被告人が医薬品の現金買いをしていたと述べ、現金買いの薬はほとんど自宅に届くので分かる。院長と二人でロットナンバーを外すことをよくしたと述べ、証人木村すみ枝(一三五)は、四階詰め所に勤務していたとき、吉野貞子薬局長に薬を注文すると、吉野から、この薬は大松照子に言ってくれと言われたことがあった。薬を大松のところへ取りに行ったこともある。薬屋の男が四階詰め所に薬を運んでくれたことがある旨を述べ、院長または大松が仕入れる薬品があったことは前記証人吉野も同旨を述べているところである。

右証人岡本によると、岡本が院長にグロブリン製剤を示されたのは、すでに国税局が病院の薬剤師から事情聴取をしようとした時期のことであり、このことからヴエノグロブリンの購入状況がすべて被告人の弁解どおりであると認めることはできないし、薬局にない薬を詰め所の看護婦が取りにくることがあるというのも、証人木村すみ枝、同吉野貞子の供述等を参照すると、量的には少なかったことが認められ、のちに示すように、公表にも大松あるいは被告人の薬品仕入分があったことからすると、直ちに大量の簿外仕入の心証を惹くものではない。

また、松本洋助が検察官に対する供述調書で述べる木下という男との取引は、松本自身が認めるように、内容を確認しないで金銭を授受し、代金をもらっていない松本が領収書を発行するなど、それ自体に疑わしい点があり、松本が被告人とは当時一〇年来の知人で、架空領収書も渡す間柄であることを考えると、松本のこの供述は被告人のためにする架空のことである疑いを消すことができない。

証人大松照子(六一、六二)、同中塚真里子(六四)によると、大松は被告人の指示で、吉野薬局長を通さずに直接東洋ファルマー、みはら薬局、山下薬品、藤沢薬品などに医薬品を注文し、この医薬品は要求に応じて看護婦詰め所に渡すか、四階詰め所裏の倉庫に運び、その品名を薬局に口頭報告し、納品書は外科外来に納品されたときには経理の中林眞佐子に渡した。しかし、午後五時を過ぎるなどして、大松が病院から帰宅しているため、医薬品が院長自宅や病院敷地内の会議会館に納品されたときは、大松は後で品物を四階詰め所裏倉庫に運ぶだけで、納品書には関与しない。そして、みはら薬局に注文したと思うミタンの納入の記載が同五二年二月から同五四年に掛けての北神営繕の薬品出入帳(押収してある押二九二号の二七五の一の1ないし5、同号の二七五の二の1ないし6)になく、これはその納品書が大松のほか、被告人からも経理に回してないことを示す旨述べる。

しかし、証人内野恭介(一三七)によると、査察官は、同五二ないし五四年について、押収した外部から北神営繕あての納品書、請求書等の伝票により、前記薬品出入帳以外の、ヴエノグロブリン、グロブリン、グリペニン、コアキシン、セフアメジン、シンクロチン、ネオダミンG、ミタン、ウロキナーゼの仕入が公表扱いになっているのを確認してこれを認容したこと、その中には、みはら薬局から納入のミタンもあることが認められるから、被告人自宅等に届いた医薬品の納品書中には、実際には大松または被告人その他により経理に回されたものがあることが推認される。そして、大松の注文による配達が、午後五時を過ぎて被告人の自宅や会議会館届けになった場合にも、そのときに限って納品書、請求書が医薬品に添えてないということは考えられず、また、午後五時までであれば後日払いにするはずの医薬品の配達が、自宅等届けになると現金払いになることも考えられないのであって、これらは、弁護人ら主張の簿外現金仕入とは異なり、通常の仕入であると認められる。また、このように納品書、請求書が添えられている場合、これを被告人が自宅で間接にせよ受け取れば、失念は別として、これを経理に回さずに放置することは想定しがたいところである。

証人濱中壽一、同近藤千里、同中林、同岡本がいう院長自宅の薬品については、前記のように、自宅に届いていることが現金仕入を指すものではないから、それ自体現金仕入を示すことにはならない。また、近藤千里の検察官に対する供述調書(一六二)によると、同人は病院の経理や、架空仕入については一切知らない立場であることが認められ、公判廷で、自宅の医薬品は現金仕入と添付薬品の混合であると述べているものの、その供述の信用性は高くないと考えられる。そして、ロットナンバー外しについては、これが添付薬品や試供品であっても、場合によりロットナンバーを消し、あるいは試供品のラベルをとる必要があることが推認でき、この点の供述も、被告人の自宅にあったという薬品が直ちに検察官主張以外の簿外仕入であると認めるに足るものとはいいがたい。

そのほか、院長室にあったという医薬品については、証人内野恭介(一三七)によると、北神営繕から押収した部外からの納品書等の伝票には、「院長渡し」「北神営繕別口」の摘要のあるものがあり、これらも公表に計上されていたことが認められ、一方、証人吉野貞子(六八、六九)によると、現金問屋やトンビが被告人に直接売り込みに行くことはあると思う旨述べ、被告人から医薬品を受け取ることもあったが、これは、「院長から」として、国税局が持ち帰った帳簿に載せたと述べており、この過程において、被告人が院長室に医薬品を置いたことは推認できるが、このような医薬品についても、被告人が納品書を経理に渡さずに放置することは考えにくい。そして、仮に納品書のないものがあれば、その現品を大松あるいは吉野薬局長に渡して仕入を記録させる推置を取らないということも想定しがたいところである。

従って、以上の証人らの供述も、検察官主張以外の簿外仕入の直接的な認定資料になるものではない。

(2)について、

近藤病院のグロブリン製剤使用量に関して、証人吉野貞子(六八、六九)によると、薬局長の吉野貞子は、ヴエノグロブリン二・五グラムは一回に一〇本以下の注文をしていた。在庫も手術場と薬局に各五本位であり、院内各所の冷蔵庫に保管し、吉野は月に一回足らずは見回りしていたと述べ、証人岡本美子(一三〇)によると、薬剤師である同人は、ヴエノグロブリンの使用量は月に一〇本以下と述べ、証人足立佳子(一三三)によると、病院の詰め所の一つである西館詰め所の看護婦である同人は、西館での使用量は多くても月に四本位であり、平素は同詰め所には二本位置いてあるだけであるといい、被告人が現金仕入であるという吉野貞子の検察官に対する供述調書の添付書面(一一七八)である「決裁薬品」という書面に記載されている薬品、例えば同五二年の「七月決裁薬品」のヴエノグロブリン二・五グラムの数量八〇本などは、右供述から想定される月間の需要に比較して多く、ケフリンについても、証人岡本が、ケフリンの使用量は一日最高四グラムであると述べ、これは月の使用量として一二〇本程度になること、同足立も決裁薬品記載の数量は多すぎる旨を述べていることなどからすると、同「七月決裁薬品」記載のケフリン一グラム二五〇〇本も、購入量として多量であり、押収してある薬品決裁等一綴(二四八)によると、二月はヴエノグロブリン一グラム七五〇本、三月は〇・五グラム二、〇〇〇本、五月は〇・五グラム二、五〇〇本その他、ケフリン、セフアメジンも大量に仕入れられたことになっていて、これらはその量が病院の必要や冷蔵庫の容量に比して多すぎる疑いがあり、このような量の取引が行われていたかどうかは疑問である。

被告人は、その供述書(ことに第八回)において、グロブリン等の使用量に関して詳細に述べているほか、この点について、証人足立佳代子、同岡本美子、同吉野貞子のいずれも、その供述によると看護婦、薬剤師、薬局長であり、吉野を含めて、仕入の全体を把握していなかった可能性があることを考慮しても、簿外仕入も病院での経常的な使用を目的としていたはずである以上、その数量に関して、現場で投薬を担当した従業員の供述を無視することはできないと考えられる。

(3)について、

木元美文作成の手帳抄(弁一七三、その原本は押収してある手帳五冊<二三八ないし二四二>)の記載は、昭和五二年五月一一日「和光薬品山下大阪で飲む」、同年一一月一七日「薬品購入打合せ会議」、同五三年三月六日「薬剤購入下調べ」、同年五月一六日「薬品購入リスト記入」、同年五月二〇日「特別薬品購入整理」、同年六月二〇日「薬品購入予定表作成」、同年七月八日「みはら松本氏」、同五四年三月一九日「薬品購入リスト通知あり」、同年五月二三日「薬品購入先変更連絡あり」、同年七月二三日「兵庫県庁薬務課ロット番号」、同年七月二七日「薬品購入予定表作成」、同年八月二八日「薬品購入」、同年一一月二七日「薬品購入請求書来る」、というもので、それ自体、直接に簿外の薬品仕入を推定させるものはない。そして、証人木元美文(一五一)によると、右のうち「和光薬品山下大阪で飲む」は、木元が大阪で医薬品販売業者と接触したのではなく、「和光薬品山下」と「大阪で飲む」は別のことであると認められる。

(4)について、

証拠ことに判決書謄本(二四五)、証人内野恭介(一三八)によると、前回の所得税法違反は昭和四五、四六年度を対象とし、その際に被告人が多本なる人物のグループからの簿外現金仕入を主張したが、この事件の立証方式は財産増減法の立証であったため、このことは直接には問題とならなかったことが認められ、一方、本件の簿外仕入先としての同グループについては、証人木元美文(五一、五三、五五)によると病院の監理局長である木元さえその存在を知らないことが認められ、その他にもこの人物を知っている者はあらわれず、証人山下忠男(六五ないし六七)、坂本哲美の検察官に対する供述調書(四七)によると、査察の当時、被告人は山下忠男から紹介された大阪の共栄薬品商店の経営者である坂本に対し、近藤病院が道修町の現金屋で月に一、〇〇〇から一、五〇〇万円の薬を仕入れていて、仕入に回っているのは多本という人間だと話すように頼み、坂本は査察官に対し、その旨虚偽の供述をし、検察官に対する供述調書でこれを訂正したこと、被告人は山下にも、国税局に対して、多本に会ったことがあるように言ってくれるよう頼んだことなどが認められ、これらの事情からみて、本件期中の近藤病院の仕入について実際に多本が介在したことはないものと認めるのが相当である。

(5)について、

被告人の供述書等によると、被告人はグロブリン製剤等の簿外現金仕入に関する当時のメモを持っていたが、病院への査察調査の七日前ころ、これを焼却したというが、このメモの存在や焼却の事実については、他にこれを示す証拠はない。

被告人は、前記(1)のように、医薬品の現金仕入について、領収書や小切手の利用による取引の証拠の保存ができないとみて、医薬品のダンボール箱をみはら薬局の松本方へわざわざ転送し、みはら薬局の領収書と合わせ、仕入の証拠を作ったというが、その真偽は疑わしいものの、このような手段をとってまで立証を考えたという被告人が、一方では、簿外仕入のメモを、十分な理由もなく焼却したというのは、一貫性がなく、これらの点の被告人の説明は首肯しがたく、このメモの実在についてはこれを認定するに足る証拠はない。

また、被告人は現金問屋は被告人が不在のときには、代金の領収を確認するメモを残しており、これは当時池田卓弥税理士に渡したというが、この点を裏付ける証拠はなく、この場合であれば、代金を被告人に代わって現金で支払った者があるはずであるが、その立証もないことなどを考えると、このメモの実在にも疑問が残るところである。

Ⅱ 医薬品費率について

次に、弁護人らは、簿外仕入が実在することの根拠の一つとして、検察官主張のとおりとすると、近藤病院の医療収入に占める医薬品費率は、同五二年が一三・二%、同五三年が九・〇八%、同五四年は一三・一四%であって、通常の例に比較して異常に低くなり、その主張が誤りであることを示しており、実際には医療収入の最低三〇%の医薬品費率に相当する額の簿外仕入が存在する旨主張する。

また、被告人の供述書でも、同趣旨を詳述しているところである。

右医薬品費率について、証拠ことに昭和五九年度神戸市病院事業損益計算書写、三田市民病院会計決算書、神戸市民病院事業会計決算書(弁一一三、一三九、一四一、一八四)によると、兵庫県下の数個の公立病院では、その率は二八ないし三四%となること、犬丸強作成の「甲北病院における昭和六〇年分の医療収入に対する医薬品費及び医療材料、消耗品費の割合」と題する書面、藤永透作成の昭和六〇年分の所得の損失申告書写(弁一一八、一一九)、証人横山弘志(八八、八九)証人犬丸強(九〇)によると、医薬品、病院関係の実務家中には、病院の医薬品費率は二五ないし四〇%位であると考えている者があること、本件査察後の近藤病院の後身である甲北病院の場合、公表上、同六〇年の医薬品費率は三三・九六%とされ、現在の事務長である犬丸は、体験上医薬品費は三〇ないし三四%であるとみていること、なお、「健康保険法の規定による療養に要する費用の額の算定方法」(昭和三三年厚生省告示一七七号)の別表第一の診療報酬点数表(甲、乙)によると、右甲乙両表では、診療報酬としての技術料の評価は異なることなどを認めることができる。また、甲北病院のレセプト(診療報酬明細書)一〇通の写(弁一八〇)によると、この一〇通では、医薬品費の割合はそれぞれ三二ないし七三%であることが認められる。

しかし、証拠ことに大蔵事務官作成の各査察官調査報告書(一一四七、一一四八)、証人内野恭介(一三六ないし一三九、一四二、一四四)によると、近藤病院が前に有罪判決を受けた昭和四五年、四六年度の医薬品費率はそれぞれ約一三・〇%、約八・一%であったこと、査察を受けた塩見病院は、申告では二九・七ないし三五・六%であるが、査察の結果は昭和五〇年が二〇・二%、同五一年が一八・二%、同五二年が二一・七%であり、加藤病院は、申告では一九・九ないし二二・五%であるが、査察結果は同五三年が一五・二%、同五五年が一三・二%、同じく医療法人広崎会は、申告が二四・一ないし二八・四%であるが、査察の結果は、同五一年が七・五%、同五二年が六・六%、同五三年が四・六%であったことが認められる。そして、証拠によると、これらの病院は、適用の甲乙表の違いのほか、医療内容の技術料的なものの多寡の差異もあり、また、査察を受けた各病院で医薬品を扱うMS法人を持たないものでは、実勢価格による算出と見られるが、その他では、薬価基準によるか、実勢価格によるのかが不明であることなどから、医薬品費率が一律でないことが窺われる。

一方、証人内野恭介(一三六)、大蔵事務官作成の査察官調査報告書(一二四七)によると、検察官の主張に基づく近藤病院の医薬品費率は、同五二年が一三・五%、同五三年が一二・三%、同五四年が一二・二%と算定されている。

もともと、被告人のように、資金蓄積の必要があった場合、北神営繕と近藤病院を通じた実質仕入において、原材料費を少なくする努力をすることは当然であり、近藤病院の使用する医薬品が一般病院よりある程度少ないことには、理由がないわけではないことを考慮しても、この比率は、前記の各病院中、査察を受けていないものの率に比較すると、かなり低い結果である。

更に、証拠ことに木元美文の検察官に対する供述調書(一二五一)、被告人の検察官に対する各供述調書(二五三、二五七、二六一)等によれば、近藤病院の仕入高は、実勢価格である北神営繕の仕入高の平均約三倍以上であり、一方、北神営繕は、期間中、売上の三五%、四六%、四八%というような割戻をし、同五四年四月以降では二〇%の値引きをしていて、平均ほぼ三〇%の値引があるから、結局、近藤病院の仕入高は実勢の大体二倍余りとなるばかりでなく、近藤病院の仕入高は、原価無料の添付薬品に薬価基準相当の価格を付した仕入も含んでおり(但し、証拠ことに査察官調査書<一九五一>、吉野貞子の検察官に対する各供述調書<一一八五ないし一一八七>等によれば、添付薬品は、同五三年途中以降は少ない。)、本来その医薬品費を高める要因があることからすると、検察官主張による医薬品費率は、近藤病院の前の査察事件の場合や、他の査察を受けた病院等に比較しても、やや低いということができる。

これに対して、近藤病院は救急指定病院で、社会保険診療以外の自由診療が比較的多く、その診療報酬は大部分自賠責任保険により、その点数の単価が社会保険の二倍であること(押収してある五三年度確定申告書綴(二)によると、医療収入中の自由診療の比率は二〇%程度とみられる。)から、この種の診療が乏しい病院に比べると医薬品費が低く現れている可能性があることは否定できない。

以上を通観しても、前項でみたとおり、証拠上は簿外仕入の積極的な認定資料に乏しいことから、弁護人のいう医薬品費率のみによって、その主張のような簿外仕入を認定することは到底できない。

しかし、被告人の検察官に対する各供述調書(ことに二五四、二五五、二五七、二六一)で、被告人は、架空仕入を疑わせる個々の領収書を示され、それぞれ、全く架空のもの、対応する金額の簿外仕入があるもの、一部(四〇ないし八〇%)が架空であるものを区別して供述しているのであるが、これらの供述は、具体的な裏付けには至っていないものの、簿外仕入や医薬品費率に関する上述のような証拠の状況からすると、被告人がここで具体的に供述している限度では、簿外の仕入がなかったことは断定できず、この意味で、右の供述の信用性を否定することは相当でないというべきである。

このため、簿外仕入については、右の被告人の検察官に対する供述の内容に従って認定することとし、その認定の結果減少した架空仕入に関連する仕入割戻除外額等を算出、修正すると、別紙(一一の二)の原材料仕入高認定表(五二年ないし五四年)のとおり、

同五二年

簿外仕入 △ 六一、八九一、七八二円

同五二年上期分仕入割戻除外修正 七、〇一二、七四八円

同五三年

同五二年下期分仕入割戻除外修正(売上<収入>金勘定)

一九、二五三、四六五円

簿外仕入 △ 五一、六一八、〇二八円

仕入割戻過大計上修正 一三、五五四、二二五円

同五四年

簿外仕入 △一六八、一三六、六四三円

仕入割戻過大計上修正 三二、六九六、五六九円

仕入値引過大計上修正 二〇、四〇〇、〇六七円

を認めるのが相当である。

Ⅲ 同五二年2及び前記一の収入金除外の項の同五三年2の仕入割戻除外・北神営繕経由について

被告人の供述書では、仕入割戻しを病院が計上していないことは知らなかったもので、奥山や権税理士の事務上のミスである趣旨を述べている。

証拠ことに押収してある同五二年、同五三年度分確定申告決算資料綴(一、二)、権世顔の検察官に対する供述調書(一八五)等によると、同五二年中において、北神営繕は近藤病院に対する同五二年一ないし六月分の医薬品の公表売上一九六、八五三、八七六円の三五%である六八、八九八、八五六円を売上割戻す旨の経理処理をし、その旨が同五二年六月三〇日付、北神営繕の取締役である近藤千鶴、近藤純子、奥山昌明、木元美文らの名義で近藤病院に通知され、同五三年中において、北神営繕は同五二年七月ないし同五三年六月の売上七六〇、五七三、四三六円の四六%の三四九、八六三、七八〇円を売上割戻しの処理をし、その旨同五三年六月三〇日に同様近藤病院に通知されていたのにかかわらず、病院においてはこの受入れを計上しておらず、このうち架空売上に対応する分を除く金額は、検察官主張の同五二年分三三、八三五、一一七円、同五三年分六一、八一三、〇九八円を前項のとおり修正して、同五二年分四〇、八四七、八六五円、同五三年分(売上<収入>金勘定)八一、〇六六、五六三円であることが認められる。

これについて被告人は、検察官に対する供述調書(二四九、二五〇、二五五、二六五)中では、北神営繕での割戻しの事実は知っており、毎年三月の所得税確定申告直前の税理士団との検討会には、被告人が出席し、その配布資料には、北神営繕の割戻決議書が含まれていたが、これが病院の公表に計上されたかどうかはよく知らなかった。しかし、当時、多額の所得がありながら、顧問税理士の安東こと権世顔には、年間所得を七〇〇〇万ないし八〇〇〇万円に抑えるように言ってあったから、違法な経理処理をしなければならないことは分かっていた旨、事実を認める趣旨の供述をしていたが、公判では、これを否定しているところであり、証人権世顔(一〇七、一〇九)も、この受入れがしてないのは、奥山のたまたまのミスではないかと述べるのであるが、権世顔の前記検察官に対する供述調書によると、当時病院の税務申告を担当していた権は、この決議通知に基づき病院の仕入を減額あるいは雑収入とすべきところ、被告人の指示に基づき年間の所得が七〇〇〇万ないし八〇〇〇万円を越える場合はわざと減額せず、このことは各年度の確定申告前の検討会で口頭でも説明し、被告人も納得していた旨を述べているところからすると、被告人が所得を低額に抑えるように権に指示したため、権はその方法の一つとして、北神営繕の売上割戻しに対応する病院の仕入減額の措置を略することにしたものと認めるのが相当であり、税理士である権が、誤って仕入減額をしなかったものとは認めがたい。また、証人奥山昌明(ことに二五、三五)によると、奥山は従来も同様の仕入減額を経験していたもので、同人においても、売上割戻し通知があるのに、これらの年度に限ってたまたまミスにより仕入割戻しをしなかったとは認めがたいところである。

そして、被告人としては、所得額や所得税額が被告人の希望する程度に抑えられるような経理、税務処理を権らに指示していたと認められる以上、仮に具体的な方法を認識しないとしても、その脱税の故意や、本件の不正との因果関係に欠けるところはない。

Ⅳ 同五二年3の仕入過大計上・北神営繕経由について

被告人の供述書は、やはり事務ミスであった趣旨を述べているところである。

証拠によると、近藤病院では、売上の記帳は現金主義(支払基準)で行い、決算で発生主義に修正していたが、右金額は前年の同五一年に発生及び支払があり、前年の仕入に計上されているのにかかわらず、同五二年度に再び計上されていることが認められる。

この点につき、被告人は、検察官に対する供述調書(二五五等)において、昭和五二年は五一年並みの七〇〇〇万ないし八〇〇〇万円に所得を抑えるように指示していたので、具体的には指示していないにしても、前記割戻金の除外などの処理が行われたものと思われる旨供述しており、証人濱中壽一(五五ないし五八、八五、八七、八八)、同奥山昌明(二三、二五、二八、三一、三三、三五、三七、三九、四一、四四、四六、四八、五〇、一四八等)、同権世顔(一〇七、一〇九、一一一)や、濱中壽一、権世顔の検察官に対する各供述調書(一六四、一八五)には、経理担当者や税理士が故意にこの二重計上を行ったことの関係供述は見あたらないが、ただ証人奥山昌明(一四八)は、決算は被告人に有利になるように考えて処理した旨の供述をしている。

そして、押収してある補助元帳(費用の部)一綴(二六六)の医薬品の項の記載によると、冒頭の昭和五二年一月二五日に、「諸口、北神営繕一二月分、四〇、八一八、八〇一円」と明記してあり、この記載ないし決算への計上に関係したとみられる経理係の濱中壽一、経理部長の奥山昌明、税理士の権世顔は、いずれも毎年近藤病院の決算を担当している者であって、右のような明らかな記載に反してかかる多額の計上の誤りをすることは考えがたく、加えて、当年度は、被告人から所得を抑えるようにとの指示を受け、このため、一方では前記のように仕入割戻除外という手段までとっていることなどからすると、この金額の計上は、単なる誤りではなく、被告人の意思に基づいて、所得圧縮の手段として行われたものと認定するほかはない。

Ⅴ 本項目及び以下の各項目における、別途特別必要経費に支出した旨の各主張については、のちに一八で判断する。

三  人件費について

昭和五二年 四四、九〇七、九四一円

同五三年 五五、二三二、一二一円

同五四年 三八、三一五、八九八円

検察官は、昭和五二ないし五四年において、被告人の人件費の架空計上、過大計上、簿外人件費があり、これらの差し引き合計が右のとおり(その内訳は別紙(一二)の人件費増減内訳のとおり。)であることを主張し、弁護人らは、

同五二年

1  架空計上・太平洋ミヤコトラベル 二、三〇九、九〇四円

は、犯意がなく、なお、家族中の医師分は必要経費である。

3  架空計上・近藤一 七、〇四七、五〇〇円

は、近藤一が医師であり、病院の会長あるいは顧問的立場にあり、所有土地を病院に使用させていたので、その対価として支払った。

4  架空計上・当直医雑給 六、四一九、一六四円

は、被告人が知らないことで、犯意がない。

6  架空計上・藤田千代子 四四、四〇〇円

は、同右。

8  青色取消し・近藤千里 二三、二〇〇、〇〇〇円

は、千里は被告人とは独立した別科目の診療に従事する医師である。また、青色取消益は犯則所得にはならない。

9  青色取消し・退職給与引当金 六、二七六、九三六円

も、青色取消益で犯則所得にはならない。

同五三年

1  架空計上・太平洋ミヤコトラベル 一、七七五、〇〇〇円中

一、二二四、七五〇円

は、インドネシア旅行で被告人が医師の慰労に実際に支出した。

4 架空計上・近藤一 七、二〇〇、〇〇〇円

は、同五二年分の2と同じ。

5 架空計上・近藤千鶴 六、一五〇、〇〇〇円

は、千鶴が医師として実際に近藤病院で働き、病院の顧問として運営に参画していたので、その報酬である。

6 青色取消し・近藤千里 二九、八〇〇、〇〇〇円

は、五二年分の8と同じ。

7 架空計上・当直医雑給 七、八九〇、〇四一円

は、被告人の知らないことで、犯意がない。

12 過大計上・藤田千代子 三九三、三三〇円

も、右と同じ。

同五四年

1 架空計上・太平洋ミヤコトラベル 七二五、一〇〇円中

五〇〇、三一九円

は、医師団旅行で被告人が立て替えた追加費用である。

3 架空計上・近藤一 七、二〇〇、〇〇〇円

は、同五二年分の2と同じ。

4 架空計上・近藤千鶴 一四、七六〇、〇〇〇円

は、同五二年分の3と同じ。

5 架空計上・当直医雑給 五、二五一、二八四円

は、被告人が知らないことで、犯意がない。

6 青色取消し・退職給与引当金繰入 九、九三三、四九五円

は、青色取消益は犯則所得にならない。

7 過大計上・藤田千代子 三七〇、八〇〇円

は、被告人の知らないことで、犯意がない。

旨を主張する。

この点に関して、被告人の供述書では、弁護人らと同旨のほか、これらが人件費としては架空であっても、のちに述べるような特別必要経費として支出したもので、病院の経費である旨を述べている。

同五二年1につき、証拠ことに国沢恒彦の検察官に対する供述調書(一〇九)、証人奥山昌明(二八、三七)、被告人の検察官に対する各供述調書(二五一、二五三)によると、これが家族旅行であること、家族中には医師が含まれることが認められるが、家族旅行は、病院経営者の場合でも、通常業務遂行上必要な旅行とはいえないから、医師分の費用を必要経費とすることはできない。また、同証拠によると被告人にこの点についての故意及び不正の行為との因果関係があることが認められる。

3につき、証拠ことに被告人の検察官に対する各供述調書(二五一、二五三)、証人木元美文(五三、一五一、一五二)によると、近藤一は被告人の父で、医師であり、近藤一の妻で被告人の母である近藤千鶴医師とともに、近藤病院とは別の近藤医院を持っていた(右父母は本件公判中に死亡。)が、期間中に近藤病院の医療に従事することはなかったこと、院長である被告人の父として、被告人に指導的な助言をすることはあったこと、その所有の土地が近藤病院の敷地に含まれていることが認められるが、特に会長役に就任したり報酬の約束をしたことはなく、土地使用についても賃貸料等の対価支払の合意はしていないことが認められる。また、近藤一が被告人の父であることから右のような助言をする場合にも、これは親族間の好意によるものと解するのが相当であり、これに対価を支払うことが病院の事業遂行上必要であったということはできない。前記木元美文作成の日誌抄によると、その記載中に、病院の管理局長である同人が、一時期、相当回数近藤一、千鶴方に立ち寄った趣旨の記載があるけれども、証人木元美文(一五二)によると、その目的が儀礼的なもの、あるいは雑談であったことが認められ、その他これに反する証拠を検討しても、上記の認定を覆すには足りない。

4、6につき、証拠ことに証人木元美文(五一)、被告人の検察官に対する供述調書(二五〇)によると、被告人は病院運営上の裏資金を作ることを木元に指示していたことが認められ、これら給与の架空、過大計上について、故意及び因果関係があるということができる。

8につき、証拠によると、近藤千里は近藤病院の産婦人科等担当の勤務医師であると認められるが、居住者である被告人と生計を一にする配偶者であるから、被告人の事業に従事して対価を受ける場合にも、青色専従者給与にあたるとき以外はその対価を居住者の必要経費に算入すべきではない(所得税法五六条。なお、別に事業専従者控除を認めることができる。後記認定。更に、近藤千里が当直医の仕事をして、被告人がその報酬を支払う場合にも、右と同様の理由で、その分はやはり被告人の経費に算入できないことになると考えられる。)。

そして、いわゆる青色取消益は、犯則所得に含まれると解されている(最高裁判所昭和四九年九月二〇日第二小法廷判決、刑事判例集二八巻六号二九一頁等参照。)ところであり、本件においては、被告人がかねて所得税法違反により処罰された事件を経験していることから、青色申告承認の取消しがあることは具体的に予測できたと認められ、その故意及び不正の行為との因果関係に疑問の余地はなく、この点に関する弁護人らのその他の主張を検討しても、右と異なる判断をすべきものとは考えられない。

同五三年1につき、証拠ことに被告人の検察官に対する供述調書(二五四)によると、これは同年四月下旬に被告人を含む勤務医師五名がインドネシアのバリ島に旅行し、現地の旅行社に支払った金額で、領収書が取れないため太平洋ミヤコトラベルの白紙の領収書を利用したというのであるが、その事実を裏付けるべき証拠はなく、国沢恒彦の検察官に対する供述調書(一〇九)によると、もともとこの領収書はミヤコトラベルの国沢が被告人あるいは、経理の濱中壽一に頼まれて白紙のままで数枚渡したものの一つであり、これは架空経費の計上による裏資金捻出用であったことなどからすると、右のような支出の事実を認めるには十分でない。

4につき、同五二年3と同じ。

5につき、証拠ことに被告人の検察官に対する各供述調書(二五一、二五三)、近藤千鶴の検察官に対する供述調書(一一九八)、近藤千里の検察官に対する供述調書(一六二)、証人近藤千里(八三)、証人奥山昌明(三五)によると、近藤千鶴は、同五三年七月までは近藤病院の診療に従事していたが、その後はしていないと認めるのが相当であるから、同年八月以降一二月までの月額一、二三〇、〇〇〇円の合計六、一五〇、〇〇〇円は架空計上となる。

6、7、12につき、同五二年8、4、6と同じ。

同五四年1につき、被告人の検察官に対する供述調書(二六二)によると、これは、神戸市北区の医師会の旅行の二次、三次会の費用を被告人が支出したもので交際費であると述べているが、その支出の裏付けとなる資料はないばかりでなく、被告人がこの経費を事業の遂行上必要とした事情が明確でなく、経費として認めることはできない。

2につき、同五二年3と同じ。

4につき、同五四年に関しては、証拠上、近藤千鶴が近藤病院の医療等に従事したことを認めることはできない。

5、6、7につき、同五二年4、9、6と同じ。

そのほか、証拠ことに大蔵事務官作成の証明書(一〇)、田中ゆきゑ、伊藤信義、斎藤ひろ子、豊浦千鶴、村田千代子、藤原智子、坂本幸子、岸本光己、晴木光、白木節子の大蔵事務官に対する各質問てん末書(一一二、一一三、一二〇ないし一二六、一二九)、川口武昌、木梨勝美、国澤恒彦、藤原りつ子、近藤一、近藤千鶴、近藤千里、濱中壽一、藤田千代子、森川定雄、丸川征四郎の検察官に対する各供述調書(八〇、八一、一〇七、一〇九、一四一、一一九七、一一九八、一六二、一一六三、一一六八、一一七〇、一一七一)、木元美文の検察官に対する供述調書(六丁裏の末尾から五行目から、七丁の初めから三行目まで及び添付書面。一一四四)、木元美文の検察官に対する供述調書(六項ないし一一項及び添付書面中の各小切手のコピー。一一四九)、木元美文の検察官に対する供述調書の添付書面写(一一五〇)、関西信用金庫芦屋支店長小島一郎作成の確認書(一一五五)、六甲信用組合北神戸支店長前田英樹作成の確認書(一一五六)、三和銀行芦屋支店次長沢田尚作成の確認書(一一五七)、大蔵事務官作成の査察官調査書(一一六九)、証人奥山昌明(二八、三五)、同近藤千里(八三、八四)、同木元美文(五一、五四)、同濱中壽一(五七)、押収してある各確定申告決算資料綴、確定申告書綴(一ないし三)、被告人の検察官に対する各供述調書(二五〇、二五一、二五三、二五五、二五六、二五九、二六二、二六三、二六五、二七三)等によると、その余の項目を含めて架空計上等を認定することができる。

四  医療材料費について

昭和五二年 三五、九八三、一四三円

同五三年 二五、一六三、四四〇円

同五四年 三、九〇五、四六〇円

検察官は、昭和五二ないし五四年において、被告人の医療材料費の架空計上があり、その合計が右のとおり(その内訳は別紙(一三)の医療材料費増減内訳のとおり。)であることを主張し、弁護人らは、このうち

同五四年

2ア いわしや中塚 一〇・二九 三六〇、〇〇〇円

同 一一・七 四二五、〇〇〇円

3 いわしや中塚 一〇・二九 二九六、〇〇〇円

は、手術室機器、機材類の購入にあてたもので実支払であるといい、

同五二ないし五四年のその他の支出については、架空ではあるが、別途、病院の特別経費として支出した旨を主張する。

被告人の供述書でも、弁護人らと同旨を述べている。

特別経費の主張についてはのちに判断することとする。

同五四年の2ア、3につき、仮に弁護人ら主張のとおりであるとしても、手術室機器の購入費は什器備品の取得費用であり、これを経費に計上することはできず、機材購入費中に価格等から消耗品費となるものが含まれることについては裏付けを欠くので、必要経費と認めることはできない。

証拠ことに川口武利の大蔵事務官に対する質問てん末書(八二)、大野善一郎、高村光夫、川口武昌、吉村俊夫、峯太喜男、中塚芳雄、光岡秀和、木村宝義、西林輝雄、中村幸一、桜井一、本庄勝治、木梨勝美、平原充信の検察官に対する各供述調書(六一、六二、六九ないし七五、七七ないし八一、八三、一〇五ないし一〇八)、中林眞佐子作成の検討表(一一八〇)、塩郷永治の検察官に対する供述調書の添付書面(一二〇七、一二〇八)、野田重雄の検察官に対する供述調書の添付書面(一二〇九、一二一〇)、野田重雄の検察官に対する供述調書(一二〇九の部分を除く。一二五三)、証人野田重雄(七七、七八)、同中林眞佐子(五九、六〇)、同奥山昌明(三一、三三)、同塩郷永治(七五、七六)同井本訓右(七一)、被告人の検察官に対する各供述調書(二五〇、二五二、二五八、二六二、二六三、二六八、二七二、二七三)等によると、これらがいずれも架空計上であることが認められる。

五  医療消耗品費について

昭和五二年 五、七三〇、一四五円

同五三年 一四、七二二、〇一〇円

同五四年 六、七二七、五四〇円

検察官は、昭和五二ないし五四年において、被告人の医療消耗品費の架空計上があり、その金額が右のとおり(その内訳は別紙(一四)の医療消耗品費増減内訳のとおり。)であることを主張し、弁護人らは、架空計上であるが、別途、必要経費に支出したことを主張する。

この点について、被告人の供述書も、同趣旨を述べている。

証拠ことに峯太喜男、中塚芳雄、光岡秀和、中村幸一、川口武昌、西山康雄、本庄勝治の検察官に対する各供述調書(七一ないし七四、七九、八一、八六、一〇六)、証人奥山昌明(三一、三三)、被告人の検察官に対する各供述調書(二五〇、二五二、二五六)等によると、これらの支出は、いずれも架空計上であることを認めることができる。

六  研修費について

昭和五二年 七、五〇〇、〇〇〇円

同五三年 九、九八〇、〇〇〇円

同五四年 二、二六八、四〇〇円

検察官は、昭和五二ないし五四年において、被告人の研修費の架空計上、過大計上があり、その合計が右のとおり(その内訳は別紙(一五)の研修費増減内訳のとおり。)であることを主張し、弁護人らは、

同五三年

6 過大計上・太平洋ミヤコトラベル 五四七、七九〇円

は、実際に被告人が東京での病院経営研究会に出て、仙台の松島の菊地という医師とホテルに泊まり、諸雑費を被告人が持ち、五〇万円以上かかったので、ミヤコトラベルの領収書を利用したものである。

その他は、その金額を他の必要経費に支出したものであると主張する。

この点につき、被告人の供述書も弁護人らと同趣旨である。

同五三年6につき、被告人の検察官に対する供述調書(二五九)は、前記主張のとおり述べるけれども、その裏付けとなる証拠はなく、これが必要経費であることを認定するには足りない。

このほか、証拠ことに伊藤信義、松本正義、藤原卓夫の大蔵事務官に対する各質問てん末書(一一三、一四〇、一四二)、高村光夫、川口武昌、吉村俊夫、国澤恒彦、黒木輝夫、河野孝男、橋本美知子、三浦順郎、森垣驍の検察官に対する各供述調書(六二、八〇、一〇五、一〇九、一一八、一三〇ないし一三三)、検察官作成の各照会書謄本及びその回答書(一三四ないし一三九)、証人野田重雄(七七、七八)、被告人の検察官に対する各供述調書(二五一、二五九、二六二、二六三、二六四、二七三)等によると、これらの研修費の架空支出、過大計上を認めることができる。

七  事務用品費について

昭和五四年 架空計上・紙の井上 三・一〇

八四六、五五〇円

検察官は、同五四年中において、被告人に事務用品費の架空計上があり、その金額は右のとおり(別紙(一六)に再記する。)であることを主張し、弁護人らは、これについては被告人が知らないことで、犯意がない旨、及び看護婦、検査技師募集に要した経費である旨を主張する。

証拠ことに井上庫延の検察官に対する供述調書(一、二項、添付書面一ないし四枚目。八四)によると、この支出は、事務用品費としては架空であることが認められ、被告人の検察官に対する供述調書(二六二)によると、被告人は、経理の濱中壽一が処理したものと思うが、自分は記憶がない趣旨の供述をしているところである。しかし、被告人は一方では、この支出について、特別必要経費であると主張し、一貫しない。そして、証人濱中壽一(五六ないし五八)は、この分の特別現金支出伝票は被告人からもらい、その内容が経費として認めにくいものであったので、自分の考えで井上に領収書をもらったというのであるから、被告人がこの支出が架空であることを知らないとは考えがたく、この分についても、故意および不正の行為との因果関係があることの認定を免れない。

八  接待交際費について

昭和五二年 △ 一、七六三、二三〇円

同五三年 二、一四三、六〇五円

同五四年 四三〇、〇〇〇円

検察官は、昭和五二ないし五四年において、被告人の接待交際費の架空計上、過大計上、簿外支出があり、その金額が右のとおり(その内訳は別紙(一七)接待交際費増減内訳のとおり。)であることを主張し、弁護人らは、このうち

同五三年

1  過大計上・白方誠弥 四・七

三〇〇、〇〇〇円中

は、実支出であり、その他の架空計上といわれるものは、別途必要経費にあてた旨主張する。

同五二年2の簿外支出・山川開業折衝費については、被告人の検察官に対する各供述調書(二五二、二六〇)によると、後記の修繕費の別紙(一八)の内訳同五二年1のアのフクダ電子三・二九の一、八一六、七三〇円と、キのさくらエックスレイ六・一の二四六、五〇〇円は、修繕費としては架空であるが、近藤病院の元の副院長の山川医師が開業するに際して、これらの架空支出による金銭を原資として開業折衝費を出したというのであり、特に反対の証拠もないから、検察官主張どおりこれを認定することとする。

以上のほかは、証拠ことに大塚福美、藤原卓夫、白方誠弥の大蔵事務官に対する各質問てん末書(一一九、一四二、一一七二)、井上庫延、丸山勝樹、近藤千里の検察官に対する各供述調書(八五、一五三、一六三)、濱中壽一の検察官に対する供述調書添付の表(一一六四)、大蔵事務官作成の査察官調査書(一一七三)、証人濱中壽一(五五ないし五八)、被告人の検察官に対する各供述調書(二五一、二六〇、二六二、二七一)によると、各架空計上、過大計上を認めることができる。

九  修繕費について

昭和五二年 二六、九一三、九八三円

同五三年 三〇、九七五、七八〇円

同五四年 五三、七九九、九二〇円

検察官は、昭和五二ないし五四年において、右のとおり被告人の修繕費の架空計上がある(その内訳は別紙(一八)の修繕費増減内訳のとおり。)旨主張する。

これに対し、弁護人らは、

(1)  このうち

同五二年

1ウ 福井建設 六・一〇 四、五六三、三六五円

カ 熊田工務店 二・二四 八、〇〇〇、〇〇〇円

六・一六 六〇〇、〇〇〇円

同五三年

1ア 稲岡医療器 一〇・一四 四、二〇〇、〇〇〇円

エ ケージ産業 四・一 二、〇〇〇、〇〇〇円

7 下モータース 八・三一 八二七、〇〇〇円

同五四年

1ア 病院の計上額 四九、一六一、七八〇円中の一部

3 いわしや中塚 一〇・八 六五〇、〇〇〇円

一一・七 六四〇、〇〇〇円

一二・一二 五〇〇、〇〇〇円

6 神戸医療器 二・九 七九〇、〇〇〇円

は実支払である。

(2)  その他の架空計上分も、それぞれ必要経費として支出したものである(その内容は「特別経費の主張」の項目に一括して記載する。)。

(3)  更に、近藤病院では同五二ないし五四年にかけて、同五二年に検査棟、同五三年に本館ロビー、電気室、同五四年に手術棟の工事が行われ、これらは建物所有者の二千商事が、熊田工務店に施工させたものであるが、工事に伴って被告人が負担すべき修繕費、除却損があり、

また、右除却関連資産及びその他の資産につき、検察官の減価償却の耐用年数の計算が誤っているので増加すべき減価償却費がある。更に、工事の結果取得した資産に関する未計上の減価償却費があるので、

ア 修繕費

昭和五二年 四八一、〇九二円

同五三年 二一、三七九、六四九円

同五四年 二、〇二六、〇〇二円

イ 除却損

同五二年 六四二、九四七円

同五三年 二、六七〇、五一六円

同五四年 一、二六九、一八八円

ウ 減価償却費

同五二年 八二〇、七二二円

同五三年 一、二二二、九四三円

同五四年 二、〇七六、八三二円

旨を主張する(その内容は別紙(二七)の工事金額分担表、別紙(二八)の除去損の計算、別紙(二九)の建物の減価償却費その一、その二、別紙(三〇)のその他の減価償却費のとおり。)

これらの点につき、被告人の供述書、被告人の供述は、弁護人らと同趣旨を述べている。

(1)につき

同五二年の1ウは、証拠ことに福井毅の検察官に対する供述調書(八八)、証人奥山昌明(三三)、被告人の検察官に対する各供述調書(二五二、二五六)によると、福井は被告人の指示により農業用水路、公害対策工事という名目で請求書を書き、領収書は白地で被告人に渡し、福井側の帳簿や、税務申告まで話を合わせたが、取引は架空で、この金額の支払もないことが認められる。

1カは、証拠ことに渡邉皓元の検察官に対する供述調書の添付書類(一一五一、一一九九)、押収してある昭和五二年一〇月三一日現在未成工事支出金工事別報告書一綴(二五二)、昭和五三年一二月末現在未成工事支出金工事別報告書一綴(二五三)、工事台帳一綴(二五四)、契約台帳二冊(二五五の一、二)、工事受注報告書一綴(二五六)、証人渡邉皓元(七二ないし七四)、証人中光正治(一四二、一四三)、被告人の検察官に対する各供述調書(二五二、二六五)によると、昭和五二年当時、二千商事所有となる予定の近藤病院検査棟の工事を代金六一、三〇〇、〇〇〇円で二千商事との間で請負った熊田工務店は、検査棟新築工事代金中四二、八〇〇、〇〇〇円を二千商事に工事代金として請求し、二千商事ではこの金額を建物勘定に計上したが、残り一八、五〇〇、〇〇〇円は、被告人の要請で、補修費等に名目を変えて北神営繕に請求したので、北神営繕では保守外注費として、西館、一部本館補修費八、〇〇〇、〇〇〇円、浄化槽三、七〇〇、〇〇〇円、本館消火栓補修六〇〇、〇〇〇円、メゾン平野改造各所六、二〇〇、〇〇〇円、合計一八、五〇〇、〇〇〇円を仮装計上し、これに対応して、近藤病院の経理上、西館、一部本館補修費八、二四〇、〇〇〇円、本館消火栓補修六一八、〇〇〇円が計上されたことが認められ、カの二口は、右北神営繕での八、〇〇〇、〇〇〇円、六〇〇、〇〇〇円を指すものであるから、これにあたる金額が熊田工務店へ支払われていることは認められるものの、ここでの問題である近藤病院での経費としての修繕費八、二四〇、〇〇〇円、同じく六一八、〇〇〇円の計上は、架空のものであることは明らかであり、実支払であるとの主張は採用できない。

同五三年1アについて、証拠ことに川口武利の大蔵事務官に対する質問てん末書(八二)、峯太喜男、川口武昌の検察官に対する各供述調書(六九、七〇、八一)、証人奥山昌明(三三)、被告人の検察官に対する各供述調書(二五九、二七二)によると、当時被告人は、北神営繕を通じて稲岡医療器から、心電コンピューターに使用するカードリーダーなどの機械を購入したが、その際稲岡の営業係に指示し、心電コンピューター等の分解修理である旨虚偽の領収書等を出させて、修繕費に計上したことが認められる。そして、この代金は稲岡医療器に支払われているが、これは償却資産の取得費であり、それ自体を必要経費に計上することはできない(なお、簿外償却費を認定した。)。

同年1エについて、証拠ことに川口武昌、大広秀紀の検察官に対する各供述調書(八〇、一五〇)、野田重雄の検察官に対する供述調書添付の領収書等写(一二一一)、証人野田重雄(七七、七八)、被告人の検察官に対する供述調書(二七三)等によると、この二、〇〇〇、〇〇〇円は、コンピュータープログラムの補修としてあるが、実際は血球計数器の購入代金であるのに、その一部を北神営繕あて二、〇〇〇、〇〇〇円のコンピュータープログラム補修費の領収書により修繕費を仮装したもので、経費としては架空の計上であることが認められる。そして、この購入は備品の取得であり、経費計上をすることはできない。

同年7の下モータース分について、証拠ことに被告人の検察官に対する供述調書(二六〇)によると、琵琶湖にとめてあるモーターボートの修理代といい、のち弁護人らの冒頭陳述書その六や被告人の供述書、被告人の供述では、マイクロバスの改造費であると述べていて、変遷していることなどからすると、架空の取引であると認めるのが相当である。

同五四年1アについて、病院の修繕費計上額四九、一六一、七八〇円中の一部が実支払である趣旨の主張は、いまだ具体的でないので、前記(2)、(3)の具体的な主張についてのちに判断することとする。

同年3につき、証拠ことに光岡秀和の検察官に対する供述調書(七五)、奥山昌明の検察官に対する供述調書添付書面写(一一五二)、証人奥山昌明(三七)、被告人の検察官に対する各供述調書(二五〇、二七二)等によると、この三口は、いわしや中塚が近藤病院の外科手術室に設置した手術室器具一式の代金の一部であるのに、被告人の意思で、内容を備品から修繕費や医療消耗品費に仮装したものであることが認められ、代金は実際に支払われているけれども、病院の経費である修繕費としては架空であることを免れない。また、これらは備品であって、特別の事情がないのに、その代金を経費に算入することはできない。

同年6は、証拠ことに稲岡祐の検察官に対する供述調書(八七)によると、神戸医療器は、北神営繕に視野計一台を売り、その代金を北神営繕宛に記帳しておいたところ、近藤病院から、病院直接に計上してくれといわれて病院あてに記帳し、このため二重記帳したあと、後者を、病院の要請で他の医療器材の修繕をしたように記載しなおしたことが認められ、これによると、取引は近藤病院との間に更改されたようにもみえるが、そうであるとしても、この購入費用を経費である修繕費に計上したことは、経費の架空計上にほかならない。また、この購入費用は、備品の取得費であり、必要経費とすることはできないことは前記のとおりである。

そのほか、検察官主張の各架空修繕費の計上は、証拠ことに川口武利の大蔵事務官に対する質問てん末書(八二)、大野善一郎、高村光夫、峯太喜男、光岡秀和、木村宝義、西林輝雄、川口武昌、稲岡祐、福井毅、小林忠、松本修、草野信康、下田強治、滝本佳男、小作晃和、妹尾秀樹、延原敏夫、安田博文、沖藤好子、原稔、吉村俊夫、平原充信、大広秀紀の検察官に対する各供述調書(六一、六二、六九、七一、七四、七七、七八、八一、八七ないし八九、九三ないし九七、九八ないし一〇五、一〇八、一五〇)、渡邉皓元の検察官に対する供述調書の添付書面写(一一五一、一一九九)、野田重雄の検察官に対する供述調書の添付書面写(一二〇九、一二一一)、井本訓右の検察官に対する供述調書の添付書面写(一二一三、一二一四)、検察官作成の捜査事項照会書(九七の二)、尼崎市長作成の回答書(九七の三)、証人奥山昌明(二八、三一、三三)、同井本訓右(七〇、七一)、同野田重雄(七七、七八)、同渡邉皓元(七二ないし七四)、同中光正治(一四二、一四三)、押収してある昭和五二年一〇月三一日現在未成工事支出金工事別報告書一綴、同五三年一二月末現在未成工事支出金工事別報告書一綴、工事台帳一綴、契約台帳二冊、工事受注報告書一綴(二五二ないし二五四、二五五の一、二、二五六)、被告人の検察官に対する各供述調書(二五〇、二五一、二五二、二五六、二五九、二六〇、二六三、二六四、二六五、二六九、二七二、二七三)等によると、いずれも修繕費としては架空の計上であることが認められる。

弁護人らは、修繕費(同五四年)1アの七・二六の一〇、〇〇〇、〇〇〇円、同日の二、〇〇〇、〇〇〇円の合計一二、〇〇〇、〇〇〇円は、その実体は被告人が社会福祉法人である万亀会に対し、追加工事分を寄付したものであるから、同年に寄付金としての経費が存したものである旨主張しているが、証人渡邉皓元(七三)等によると、同年中に、北神営繕が発注して、万亀園の新築工事を二四五、〇〇〇、〇〇〇円で熊田工務店が受注し、(契約書上は四〇、〇〇〇、〇〇〇円水増しして二八五、〇〇〇、〇〇〇円)、さらにその追加工事が同五四年九月までに一七、五六〇、〇〇〇円分あったところ、このうち一〇、〇〇〇、〇〇〇円が近藤病院本館屋上防水外修理、二、〇〇〇、〇〇〇円が本館二ないし四階便所防水修理として、近藤病院の公表経理にあげられているが、右合計一二、〇〇〇、〇〇〇円は架空計上と認められる。

そして、大蔵事務官作成の証明書(九)、押収してある昭和五四年度確定申告書綴(三)によると、同年度の確定申告書中に、社会福祉法人万亀会あて一二、三〇〇、〇〇〇円と、その他の寄付の合計一二、四五〇、〇〇〇円の寄付金控除(所得控除)の記載があり、同綴中の近藤千里の同年分確定申告書には、同じく万亀会あての一〇、〇九二、〇〇〇円の寄付金控除の記載があって、これらについてそれぞれ万亀会の寄付金受領書が添付されていたことが認められるところ、証人境一燦(一〇八)、被告人の供述(ことに一二五)によると、この一二、〇〇〇、〇〇〇円は本項の主張にかかる一二、〇〇〇、〇〇〇円と同一であると認められ、検察官は(平成元年一月一〇日付の冒頭陳述補充書)、これらの合計から一万円を控除した金額に相当する二二、五三二、〇〇〇円の寄付金控除を認めて税額を計算しているから、弁護人ら主張の寄付金一二、〇〇〇、〇〇〇円は、所得税法経費とはならないが、所得控除分として、起訴にかかる脱税額から控除され、当初から起訴外にあるものと解せられる。

(3)のアの修繕費について、

別紙(二七)の主張について検討すると、まず、証拠ことに証人渡邉皓元(一四九)、同佐藤貞夫(一〇〇、一〇三)、佐藤貞夫作成の工事代金鑑定書(弁一四二)、被告人の供述等によると、弁護人ら主張のような工事が、建物の除却にあたるものも含めて、その主張の年度に行われたものと認めることができる。また、右証人渡邉皓元によると、これらの工事には、当時近藤病院の同種の工事を一手に行っていた熊田工務店の担当者である渡邉が記憶しているものも含まれており、同工務店が施工したとみるのが相当である。

また、証人内野恭介(一四四)等によると、査察官は、ここで主張されているような工事が、近藤病院の公表経理に計上されていなかったはずはないとの疑問を呈しているのであるが、同証人の供述部分と、押収してある納品書請求書綴二綴(二六三、二六四)、大蔵事務官作成の調査報告書(一二六六)によると、当時の北神営繕から近藤病院あての請求書、納品書綴りを調査した限りでは、ここに主張の修繕の工事に名称の類似するものもあるが、これが主張のものと同一であると認めるには十分でない。

また、同五三年につき、大蔵事務官作成の調査報告書(一二六七)、押収してある会計伝票・昭和五三年一二月分(二六五)同じく元帳・費用の部五三年(二六七)によると、近藤病院の公表経理上、同五三年一二月一一日付「撤去及び改修」の摘要で、四、二〇〇、〇〇〇円と一、三七〇、〇〇〇円と五四九、〇〇〇円とが支出され、これが修繕費に計上されていることが認められるが、これと、弁護人ら主張の同年の修繕費とが同一の内容のものであることの証明は十分でない。

一方、工事を担当した熊田工務店が、弁護人ら主張の各修繕工事等の費用の請求をしないことは考え難い。

そうすると、右主張にかかる修繕や除却の工事は、当時並行して行われていた大きい工事である検査棟工事、本館ロビー工事、手術室工事等に付帯して請求されたため、別の請求書が存在しないものと認めるのが相当である。この点につき、証人渡邉皓元(一四九)は、記憶があいまいであるが、合わせて請求した可能性を否定せず、右認定を妨げるものではない。

更に、前記工事代金鑑定書のほか、証人佐藤貞夫(一〇〇、一〇三)、同佐藤庸安(九八、一〇一、一〇二)によると、この鑑定にあたっては、一級建築士である佐藤貞夫が、工事の現地をみて測量により建設図面を再製し、建設物価表により材料の時価等を判定して、建築本体、解体、電気設備、渡り廊下新設、給排水衛生設備、空調の各工事一式、諸経費を積算して総合計を出し、これが六四、八八一、六九五円となったので、実際の支払額六一、三〇〇、〇〇〇円との比率九四・四八%を修正率とし、各項目ごとの鑑定価額にこの修正率を掛けて、実際の工事代金中での修繕費該当分の算出をしたこと、除却損についても、基本的には同様の方法で、同五二年には二千商事所有の検査棟が西館へ接続したことによる被告人所有の西館の除却部分の価格、同五三年には二千商事所有の本館ロビーが被告人所有の本館に接続したことによる本館の除却部分の価格、同五四年には北神営繕所有の手術棟が被告人所有の本館に接続したことによる本館の除却部分の価格を算定し、減価償却を考慮して除却日の帳簿価格を算出して被告人の負担すべき除却損としたことが認められ、佐藤貞夫が現地を見分、測量等し始めたのが工事後数年経過した時期であること、工事の図面等がほとんど保存されていないことなどから、工事の実態を十分把握できたかどうか疑問がないではないが、改修等を経た建物や修理工事の結果は現存し、鑑定にあった者は専門家であること、特段の反対の証拠はないことなどから、被告人の利益のため、この鑑定を前提にして事実を認定するのが相当であると考える。

以下、修繕費の帰属の点について、個別に証拠ことに前記工事代金鑑定書、証人佐藤貞夫、同佐藤庸安等に基づき検討することにする。

同五二年分

5 検査棟工事中騒音防止対策費 七九、五五二円

弁護人らの主張によると、病院の必要とする工事であるから病院負担とするというのであるが、証拠によると、検査棟新築が二千商事発注、熊田工務店施工で、完成後は二千商事の所有となるものであること、騒音対策費は、建物の建設のために要した費用とみられることからすると、二千商事において資産の取得価額に算入されるべきで、性質上修繕費となることはなく、また、被告人は建物賃借予定であるといっても、これを被告人の経費に算入する根拠には乏しいといわざるを得ない。

7 外部カラクリート・モルタル補修 一八八、九六〇円

8 野積石積直し 二一二、五八〇円

資産の通常の維持管理のための補修工事とみることができ、修繕費である(基通三七-一一参照)。

同五三年分

12 前面側溝補修工事 一、三六五、四九二円

13 通路舗装手直し工事 九二九、七六七円

14 会議室外部吹き付け工事(補修費) 一、〇六〇、七八四円

15 外部側溝(現状回復費・補修費) 一七九、八九〇円

16 外部側道(同右) 一一四、八九五円

17 外部カラクリート・モルタル塗り補修 一、四四〇、四八四円

18 屋上防水層・デッキプレート補修 一、六一七、一一六円

資産の通常の維持管理のための補修工事とみることができ、修繕費である

19 旧プロパン置き場取壊し費 五九、〇九〇円

取壊し費用は必要経費に算入し得る。

20 本館ロビー工事中騒音防止対策 二九五、四五〇円

前記同五二年の5と同じく、修繕費にあたらない。

23 本館修理工事(硝子取替) 二、一二七、二四〇円

24 同 (便所改装・タイル張替、便器取替)

一、二〇八、六二七円

25 同 (浴室改装・風呂の石貼替)

八七七、四八七円

26 同 (各室改装・床、壁、天井貼替)

九、四七〇、五三二円

27 同 (天井スピンドリル貼替) 六三二、七九五円

本館が被告人の所有であり、修繕費にあたる。

同五四年分

7 手術室工事中騒音防止対策 一一八、四〇〇円

前記同五二年の5と同様、修繕費にあたらない。

8 一時レントゲン移動費 一、一四九、六六九円

この移動費は、修繕費に該当すると解される(基通三七-一一参照。)。

9 機械室除却費 一五六、〇七五円

手術棟の工事に伴い邪魔になる機械室を除却したもので、この除却費は、必要経費に算入できる。

11 外部側溝 五七三、八二三円

修繕費と認められる。

以上によると、簿外において、

同五二年 四〇一、五四〇円

同五三年 二一、〇八四、一九九円

同五四年 一、九〇二、八〇七円

の修繕費を認めることができる。

(3)のイの除却損について

この点の弁護人らの主張は別紙(二八)のとおりである。

そして、資産の除却部分については、未償却残高が計算できる場合には、除却損は必要経費に算入できる(基通四九-四二等)のであって、これは新築建物を既存の隣接建物に接続するため既存建物を部分的に除却する場合にも適用されると考えられるところ、修繕費と同様の証拠によると、同五二年一一月の西館への検査棟接続により、被告人所有の西館は二か所において既存の壁の取り壊し等を必要としたこと、その部分の同四六年五月西館建築時点の評価額は八五三、三六〇円で、西館全体の取得価額九三、八〇二、一〇〇円の〇.九一%にあたること、西館全体の減価償却後の簿価を、大蔵省令による耐用年数の当初の規定六〇年、同四九年から五二年までの五〇年、定率法によって計算すると、同五二年一一月の一部除却時期において七〇、六五三、六〇七円であり、その〇.九一%の六四二、九四七円が主張のとおり除却損であることが認められる。

同五三年については、同証拠によると、同年一二月の本館への本館ロビー接続により、被告人所有の本館は東面において大幅な取壊し等を必要とし、その部分の同四二年九月本館建築時点の評価額は四、三一〇、三八四円で、本館全体の取得価額二九、六八〇、〇〇〇円の一四.五二%にあたること、本館全体の減価償却後の簿価を定率法で計算すると、同五三年一二月の一部除却時期において一八、三九一、九八七円であり、その一四.五二%の二、六七〇、五一六円が主張のとおり除却損であることが認められる。

同五四年について、同証拠によると、同年一二月の本館への手術棟接続により、本館は西面の一部を取壊したが、その部分の同四二年九月時点の評価額は二、一五一、六九〇円であり、本館全体の取得価額の八・四八%にあたること、本館全体の簿価は、前年分の除却を経て、同五四年一二月において一四、九六六、八四一円であるから、同時期の取壊し部分の簿価はその八・四八%の一、二六九、一八八円で、これが主張のとおり同五四年の除却損であることが認められる。

以上によると、簿外において、

同五二年 簿外除却損 六四二、九四七円

同五三年 同 二、六七〇、五一六円

同五四年 同 一、二六九、一八八円

を認めることができる。

(3)ウについては、次項で判断する。

一〇 減価償却費について

昭和五三年 △ 三四四、九九八円

同五四年 一九六、八三一円

検察官は、昭和五三、五四年において、被告人の簿外減価償却費、架空減価償却費があり、その差し引き合計が右のとおり(その内訳は別紙(一九)の減価償却費増減内訳のとおり。)であることを主張し、弁護人らは、ほかに、前項に引用したように、別紙(二九)、(三〇)記載のとおり、

同五二年 簿外減価償却費

別紙(二九)その一分

西館(除却分及び耐用年数の是正) 四四〇、〇一二円

本館四二・九取得(同右) 一一八、五五八円

別紙(二九)その二分

管理棟、本館(四四・一二取得)、管理棟補修工事、本館屋上、本館(五一・一二取得)、本館(五二・二取得)、北館(耐用年数の是正)

二五八、八〇五円

別紙(三〇)分

造作・三階生物検査室改装(新たに計上)

三、三四七円

計 八二〇、七二二円

同五三年 簿外減価償却費

別紙(二九)その一分

西館(除却分及び耐用年数の是正) 五九四、二九八円

本館(同右) 一六五、六三八円

別紙(二九)その二分

管理棟、本館(四四・一二取得)、管理棟補修工事、本館屋上、本館(五一・一二取得)、本館(五二・二取得)、北館(耐用年数の是正)

三五七、三六二円

(三五六、三六二円の誤記と認められる。)

別紙(三〇)分

造作・三階生物検査室改装(新たに計上)

二一、二六二円

建物・合併処理の関連工事(同右) 一三、八三一円

西館裏玄関ドアー(同右) 二、一二七円

付属設備

空調消火設備改修(同右) 三八、六一一円

サプライセンター空調工事(同右)

一六、五〇一円

物療室空調機増設(同右) 六、三二一円

外部レンガ舗装(構築物とすべきものと認められる。)(同右)

六、九九二円

計 一、二二二、九四三円

(一、二二一、九四三円の誤記と認められる。)

同五四年 簿外減価償却費

別紙(二九)その一分

西館(除却分及び耐用年数の是正) 六九〇、二三六円

本館(同右) 二一、八八六円

別紙(二九)その二分

管理棟、本館(四四・一二取得)、管理棟補修工事、本館屋上、本館(五一・一二取得)、本館(五二・二取得)、北館(耐用年数の是正)

三二三、四一七円

別紙(三〇)分

造作・三階生物検査室改装(新たに計上)

二〇、二四二円

建物・合併処理の関連工事(同右) 一六五、三一七円

西館裏玄関ドアー(同右) 二五、四二四円

付属設備

空調消火設備改修(同右) 四五七、八五六円

サプライセンター空調工事(同右)

一九五、六七九円

物療室空調機増設(同右) 七四、九五五円

外部煉瓦舗装(同右) 八二、九一四円

構築物

プロパン置場移設(同右) 三、二八一円

ガードレール新設(同右) 一五、六二五円

計 二、〇七六、八三二円

のあることを主張する。

証拠ことに峯太喜男、稲岡祐の検察官に対する各供述調書(六九、七〇、八七)、渡邉皓元の検察官に対する供述調書の添付書面写(一一五一、一一九九)、佐藤貞夫作成の工事代金鑑定書(弁一四二)、証人渡邉皓元(七二ないし七四)、同奥山昌明(三三)、同佐藤貞夫(九九、一〇〇、一〇三)、同佐藤庸安(九八、一〇一、一〇二)、押収してある五二年度分確定申告決算資料綴、五三年度分確定申告決算資料綴、五四年度分確定申告書綴(一ないし三)、昭和五二年一〇月三一日現在未成工事支出金工事別報告書一綴(二五二)、昭和五三年一二月末現在未成工事支出金工事別報告書一綴(二五三)、工事台帳一綴(二五四)、契約台帳二冊(二五五の一、二)、工事受注報告書一(二五六)、被告人の検察官に対する各供述調書(二五九、二七二)等によると、検察官主張分については、昭和五三年に簿外でカードリーダー等の機械、同五四年に簿外で量的視野計を購入しており、その減価償却費が計上できること、同五四年には、さきに修繕費の項で認定したように、二千商事、万亀園所有建物関係の取得価額中一部を被告人の建物等の取得費として計上したのに対応して、それらの減価償却費を架空計上しており、それらの金額が検察官主張のとおりであること、弁護人ら主張について、修繕費、除却損につき認定した各工事の結果、西館、本館に償却資産の評価の変化のほか、償却資産の取得があり、これらについて簿外減価償却費を算定すると、前記の誤記を是正して、その金額は弁護人らの主張のとおり増加すべきものであることを、それぞれ認定することができる(なお、五三年の付属設備とされた外部煉瓦舗装は、構築物とした場合にも耐用年数は同じであり、結局同金額となる。)。

してみると、検察官主張のほかに、簿外において、

同五二年 減価償却費 △ 八二〇、七二二円

同五三年 同 △一、二二〇、九四三円

同五四年 同 △二、〇七六、八三二円

を認めるのが相当である。

一一 福利厚生費ついて

昭和五二年 一、三四七、七九九円

同五三年 七三六、二五〇円

同五四年 二二四、七八一円

検察官は、昭和五二ないし五四年において、被告人の福利厚生費の架空計上があり、その合計は、右のとおり(その内訳は別紙(二〇)の福利厚生費増減内訳のとおり。)であることを主張し、弁護人らは、

同五二年

1 架空計上・太平洋ミヤコトラベル 一、〇三七、七九九円

は、犯意がなく、なお、家族中の医師分は必要経費である。

2 架空計上・田中補給金 三一〇、〇〇〇円

は、他の簿外費用にあてるためのものである。

同五三年

1 架空計上・太平洋ミヤコトラベル 五五〇、二五〇円

は、支払の事実がある。

2 架空計上・見舞金 一八六、〇〇〇円

は、架空であるが、別途必要経費にあてたものである。

同五四年

1 架空計上・太平洋ミヤコトラベル 二二四、七八一円

は、架空であるが、別途必要経費にあてたものである。

旨を主張する。

右福利厚生費は、前記三の人件費と関連しており、右のうち、同五二年1、2は、同年分の人件費(別紙(一二)人件費増減内訳)同五二年1、2と同一の支出を、福利厚生費の同五三年1、2は、人件費同五四年1、2と同一の支出を、福利厚生費の同五四年1は、人件費同五四年1と同一の支出を、それぞれ人件費と福利厚生費に配分した経理に関するものであり、人件費に関して示したと同じ理由で、いずれも福利厚生費として経費に計上することはできない。

一二 保守料について

昭和五二年 四、三六七、二〇〇円

同五三年 四、二七四、五〇〇円

同五四年 八、三三八、一〇〇円

検察官は、昭和五二ないし五四年において、被告人の保守料の架空計上、簿外支出があり、その差し引き合計は、右のとおり(その内訳は別紙(二一)の保守料増減内訳のとおり。)であることを主張し、弁護人らは、

同五二年

1 架空計上・北神営繕 九、八八八、〇〇〇円

2 簿外支出・北神営繕 △ 五、五二〇、八〇〇円

同五三年

1 架空計上・北神営繕 一〇、一九七、〇〇〇円

2 簿外支出・北神営繕 △ 五、九二二、五〇〇円

同五四年

1 架空計上・北神営繕 一二、三六〇、〇〇〇円

2 簿外支出・北神営繕 △ 八、九六一、〇〇〇円

は、いずれも架空ではなく、近藤病院では、病院の清掃を北神営繕に請負わせていたところ、北神営繕から清掃料(保守料)として各年度の1の金額を請求してきたので、これを病院が支払った。北神営繕は更に業者に下請けさせていて、その業者に北神営繕から支払った金額を三%増したものが各年度の2の金額であり、近藤病院と当該業者との間には直接の請負関係はないから、1の金額を2の金額に引き直すいわれはなく、1と2の差額は北神営繕の所得となるのであって、検察官の主張は、北神営繕の法人格、社会的経済的存在を否定する謬論である。

同五四年分の3ないし6は架空であるが、別途必要経費に支出した旨主張する。

同五二ないし五四年の1、2につき、証拠ことに今福純、末吉小春、苗村市郎、石井光次、大広秀紀、陰山輝男の検察官に対する各供述調書(三〇、一四五、一四七ないし一五一)、木元美文の検察官に対する供述調書六丁裏の終わりから五行目から、七丁の初めから三行目まで及び添付書面(一一四四)、同人の検察官に対する供述調書五ないし一〇項及び添付書面(一一四五)、同人の検察官に対する供述調書六ないし一一項及び添付書面中の各小切手の写(一一四九)、同人の検察官に対する供述調書の添付書面写(一一五〇)大蔵事務官作成の査察官調査書(一一五九、一一六九)、証人木元美文(五一、五三ないし五五)、同奥山昌明(二八)、同野田重雄(七七、七八)、押収してある五二年度分確定申告書決算資料綴、五三年度分確定申告書決算資料綴、五四年度分確定申告書綴(一ないし三)、被告人の検察官に対する各供述調書(二五〇、二五二、二六〇、二六二、二六六、二六九)等によると、右各年の1、2に関しては、被告人から近藤病院の清掃等を請け負った北神営繕は、同五二年には五、三六〇、〇〇〇円、同五三年には五、七五〇、〇〇〇円、同五四年には八、七〇〇、〇〇〇円を下請け業者に支払い、約旨では三%の利益を上乗せして近藤病院に請求すべきところ、これを越えて、各年1の金額を被告人に請求していたものであるが、北神営繕は被告人とは別の法人格を持つから、通常であれば、これは北神営繕が約旨に反して多大の利益を得たというのにとどまり、被告人が保守料の架空計上をしたというにはあたらない筋合いである。しかしながら、本件では、かねて被告人は、病院の監理局長の木元美文に対し、木元が自分のやり方で病院の裏金を作ることを指示していたところ、保守料を管理していた木元は、裏金等を作る目的で、北神営繕の仕入を真実に反して過大に計上し、この金を清掃業の苗村に支払ったように装って北神営繕から架空口座へ振込み、この中から実際に苗村に支払った残りを裏金として被告人または経理部長の奥山に渡していたことが認められ、これは単に北神営繕が独自に利益を得たのではなく、被告人が公表以外に使用できるいわゆる裏資金を得るためにこのような操作をさせたのであって、この操作全体が税法上の不正の手段である。

従って、下請け業者に対する前記実際の支払額に三%を加えた右各年の2の金額のみを保守料として是認し、その余は架空計上とするのが相当である。

また、同証拠によると、同五四年の3ないし6は、それぞれ作成名義人の関知しない領収書等によって計上されたもので、いずれも架空計上であると認めることができる。

一三 支払手数料について

昭和五二年 △五、七三七、五〇〇円

同五三年 五、〇二三、二三八円

同五四年 △ 二八六、六〇五円

検察官は、昭和五二ないし五四年において、被告人の支払手数料の架空計上、簿外支出があり、これらの差し引き合計が右のとおり(その内訳は別紙(二二)の支払手数料増減内訳のとおり。)であることを主張し、弁護人らは、

同五二年

1 簿外支出・井本訓右 △五、五〇〇、〇〇〇円

は、金額が過少である。

同五三年

1 過大計上・丸山勝樹 一〇・二二 九〇〇、〇〇〇円中

七〇〇、〇〇〇円

は、架空であるが、別途必要経費に支出した。

2 架空計上・橋本重之 一〇・九 五〇〇、〇〇〇円

は、被告人が知らないことで、犯意がない。

4 架空計上・熊田工務店 九・二一 四、四〇〇、〇〇〇円

は、支払の事実がある。

同五四年

1 架空計上・丸山勝樹 二・二七 五〇〇、〇〇〇円

2 簿外支出・野村証券 △五九一、六〇五円

3 簿外支出・山下忠男 △一七五、〇〇〇円

4 簿外支出・大道親雄 △ 二〇、〇〇〇円

は、別途簿外経費がある。

旨を主張する。

この点に関して、被告人の供述書では、これらが実際には病院の特別経費に支出されたことなどを詳細に述べている。

同五二年2につき、検察官主張の五、五〇〇、〇〇〇円の金額は、被告人の検察官に対する供述調書(二五二、二五五)によると、その検察官に対する供述調書(二五二)添付の〈7〉~〈11〉のしおさと医療器の領収書の合計七、七〇〇、〇〇〇円について、病院の計上額にあたる三%増しの金額の七〇%(約五、五五一、一八四円となる。)は井本訓右に対する渉外費とした旨述べていることから算定したというのであり、特に反対の証拠もないので、検察官主張にかかる金額については経費計上を認めるのが相当である。

弁護人らは、検察官主張の井本に対する支出金額が過少であると主張しているが、ここで、同年の支払手数料その他に関して、井本の近藤病院に対する関係をみると、証拠ことに証人井本訓右(七〇、七一、七九、八一、一四〇、一四一)、北神営繕(株)分収入家賃(メゾン平野)と題する綴の写、北神営繕分メゾン平野家賃明細と題する綴の写(弁二三一、二三二)、押収してあるノート一冊(二五七)、被告人の検察官に対する各供述調書(二五二、二五五)等によると、井本は、万国リサーチ事務所という一般調査事務所を主宰しており、のちには数回県会議員選挙に立候補するなどして、中央の政治家にも知己があったが、昭和四八年ころから被告人のもとに出入りし、いわゆる顧問料として月に一〇万円ずつを同五六年ころまでもらったほか、病院の未収入金の取り立てに従事し、取立てた額の三〇%の謝礼を得ており、同人の妻はこの未収入金の取り立てにつき、ノートにメモを残しているが、その記載は昭和五〇年五月一九日から同五一年八月二日までで、取立て額は月に最高八〇万円程度であり、次第に減少しているけれども、井本は、同五三年秋ころ、事故で入院した建設会社の従業員の自己負担分を取立てる話をつけ、そのころ、報酬として被告人から五〇万か一〇〇万円をもらい、別に、もと近藤病院の未収入金の取り立てをしていた柳田が横領した件について、その金額を保険会社に聞いて調べて報酬としていくらかを被告人からもらったことがあり、ほかに、同五〇年五月から同五四年一二月は、被告人の関係するメゾン平野の入居者の家賃の取立てをしていたことなどが認められる。また、井本はその仕事振りなどから、被告人とは当時意気投合するところがあったことが窺われ、被告人は井本が同五〇年、五四年に県会議員選挙に立候補するについて、同四九年中に約一〇、五五〇、〇〇〇円、同五三年中に約七、〇〇〇、〇〇〇円を支出して井本の選挙資金としたこと、井本は、被告人との間柄や、自己の近藤病院に対する貢献を自分なりに考えて、この選挙資金にあてた金員を返すことはしていないこと、なお井本は、近藤病院の顧問となった翌年位から、自己振出または自己の後援会員等振出の、実取引のない手形や、架空の領収書を被告人に渡して、金銭の交付を受けるようになり、後日、井本の妻が整理したところでは、約四七通のこの種の手形があったこと、この場合、被告人は手数料をとらなかったが、実質的には融資であり、井本も原則としてはこれを返済してきたが、同五六年二月当時概算一四、〇〇〇、〇〇〇円前後の未決済分があったことなどが認められる。井本が、被告人のために未収入金の取立てをしていた期間については、証人井本訓右の供述に不明確なところがあるが、その終期については、井本の近藤病院に対する顧問の立場は同五六年まで続いていたこと、木元美文の手帳抄(弁一七三、押収してあるその原本は二四二)によると、その同五四年七月二日の欄に、「井本訓右来院、自賠責会談」とあって、未収入金に関してこの時期にも病院との接触があったことを示していること、北神営繕(株)分収入家賃(メゾン平野)と題する綴、北神営繕分メゾン平野家賃明細と題する綴の各写し(弁二三一、二三二)等によると、近藤病院の関係する賃貸住宅であるメゾン平野の賃料につき、北神営繕からその管理人や住人宛に、同五四年六月一日以降は井本事務所への管理依頼を中止する趣旨の通知文書が出されており、その家賃に関しては、この時点まで井本がその取立てをする立場にあったことを示していること、更に、同五四年一二月二一日までは、実際には井本がメゾン平野の家賃を集金したことがあるが、前記同五四年六月以前から、井本が取立てた家賃を病院側に送ったかどうかという問題があったことが認められ、それ以前に未収入金の取立て依頼が解除されていても、不自然ではないこと、一方、証人門長貫一(九二ないし九四)によると、同人が近藤病院の債権管理を始めた同五〇年以降、井本に依頼した自賠責の取立ては、町の顔役からの取立てなどで件数は多くないというが、この依頼が同五一年八月という早期に打ち切られたことは、同証人や、井本の取立て関係に触れる前記証人濱中壽一のほか同威徳寺悦子(一〇二、一〇三、一〇五)も述べていないこと、ことに、証人井本訓右(八一)では、前記のとおり同五三年秋ころまで取り立てをして、この同五三年秋には、五〇万か一〇〇万の報酬を得たと述べており、この供述は、証人が前記ノートを示される以前のもので、ノートの記載が同五一年八月で終わっていることに影響されない時期の供述であること、被告人も、同五三年秋に取立て依頼をやめた記憶であることが窺われることなどからすると、井本は、少なくとも散発的にはこの時期まで未収入金の取立てに従事したことがあると推認するのが相当である。この点について、前記ノートは、井本が病院側に取立ての報酬を請求する基本資料になるものであったことから、その記載が途中で切れていることに疑問がないではないが、その後に別の記録がないのかどうかは明らかでなく、前記のような証拠関係からすると、このノートの終期以降は井本は全く未収入金に関与していないと断定することは相当でないと考えられる。

ただ、証人濱中壽一(五五ないし五八、八五、八七、八八)によると、井本の前記顧問料月額一〇〇、〇〇〇円も、未収入金の取り立ての三〇%の報酬も、いずれも公表経理したことが認められるから、簿外で考慮すべき井本への支出があるとすれば、それ以外の取立てに対する謝礼ということになるのであるが、井本が同五二ないし五三年秋に、簿外でどのような取立てを行ったかはほとんど判明せず、前記の証拠の状況からみても、少なくとも散発的にはあったと推認できるのにとどまり、証拠上、これに該当すると認定できるのは、前記の同五三年秋の五〇ないし一〇〇万円である。これを金額的には被告人の利益に考えて、一、〇〇〇、〇〇〇円の簿外支払手数料を認めるのが相当である。

このほか、証拠上、同年中に前記の金額を越えて井本に対し簿外で取立手数料の支払があったことは認め難い。

同五三年1につき、証拠ことに丸山勝樹の検察官に対する供述調書(一五二)、被告人の検察官に対する供述調書(二六〇)によると、笠井設計事務所の丸山勝樹は、被告人から、工事竣工の祝儀二〇〇、〇〇〇円を受け取ったが、そのとき領収書二枚を渡し、このうちの一枚がこの手数料九〇〇、〇〇〇円支払の計上に使われており、うち七〇〇、〇〇〇円は架空であることが認められる。

同年2につき、証拠ことに橋本重之の検察官に対する供述調書(一五四)によると、この五〇〇、〇〇〇円の支払は未収金の回収の手数料の名義で計上されているが、実際にはその事実がなく、架空であることが認められるところ、被告人の検察官に対する供述調書(二六〇)によると、被告人はこの支払計上は経理で処理しているので、自分には分からないと述べているところである。しかし、収入金除外の項で説示したように、被告人に本件各年度の所得について脱税の故意があること、ことに当該年度の申告所得を真実より低い一定の金額に押さえるように顧問税理士らに指示し、同人らがこれに応じ、多くの不正な手段を講じて所得金額の減縮をはかっているのを認識、是認していたことからすると、右被告人の指示の趣旨に沿ったものと認められるこの五〇〇、〇〇〇円の計上について、被告人が具体的に認識していないということから、その故意及び不正行為との因果関係がないということはできない。

同年4につき、証拠ことに修繕費の項の同年1カに挙げた関係証拠のほか、証人奥山昌明(三七)、被告人の検察官に対する供述調書(二六〇)等によると、同五三年において、二千商事が熊田工務店との間で近藤病院外来ロビーの増築工事契約をし、その代金一二二、五〇〇、〇〇〇円中、四八、〇〇〇、〇〇〇円は二千商事の建物勘定に計上されたが、被告人の要請で、残りのうち四〇、五〇〇、〇〇〇円は、北神営繕の保守外注費に計上ののち金額を数%増やして近藤病院の建物勘定や修繕費に分散計上され、四、四〇〇、〇〇〇円は近藤病院の支払手数料勘定に計上されたことが認められ、同五三年の支払手数料四、四〇〇、〇〇〇円というのは、右の計上にかかるものであるから、これにあたる金額が熊田工務店へ支払われたことは認められるものの、近藤病院の経費としての支払手数料の計上は架空であることは明らかである。

同五四年1につき、同五三年の1に挙げた証拠によると、前記二枚の領収書のうちの一枚が、この五〇〇、〇〇〇円の計上に使われているが、架空の取引であることが認められる。

そのほか、証拠ことに吉岡正夫の大蔵事務官に対する質問てん末書(一二三四)、山下忠男の検察官に対する供述調書の一、二項、三項中一ないし七一行目、添付書面の一ないし一九枚目(四二)、大道親雄の検察官に対する供述調書(一五八)、大場勝利作成の確認書(一二二九、一二三〇)、証人山下忠男(六五)、被告人の検察官に対する各供述調書(二五一、二六〇、二七三)等によると、検察官主張のその他の簿外支出、架空計上を認めることができる。

従って、支払手数料については、検察官主張のほかに、簿外支払手数料

同五三年、 一、〇〇〇、〇〇〇円

を認めることとする。

一四 調査費について

昭和五二年 三、〇〇〇、〇〇〇円

同五三年 一一、三二八、九〇〇円

検察官は、昭和五二及び五三年において、被告人の調査費の架空計上があり、その合計が右のとおり(その内訳は別紙(二三)の調査費増減内訳のとおり。)であることを主張し、弁護人らは、このうち、

同五二年

1 架空計上・万国リサーチ 一二・二九 三、〇〇〇、〇〇〇円

は、支払の事実がある。また、別途必要経費に支出したものである。

同五三年

1 架空計上・石井恒彦 一・二八 二、五〇〇、〇〇〇円

五・二九 二、〇〇〇、〇〇〇円

2 架空計上・京都電気 五・二九 六、三二八、九〇〇円

3 架空計上・高田器材 三・一四 五〇〇、〇〇〇円

は、架空計上であるが、他の必要経費にあてている旨を主張する。

この点に関して、被告人の供述書では、必要経費としての支出等について述べている。

同五二年1につき、証拠ことに井本訓右の検察官に対する供述調書の添付書面(一二一二、一二一三、一二一四)、証人井本訓右(七一、一四〇、一四一)、被告人の検察官に対する供述調書(二五一)等によると、前記のように、この当時井本は、被告人に自己または第三者振出の手形を交付して、手数料なしに融資を受けることがあったが、右三、〇〇〇、〇〇〇円の場合にも、手形三通合計三、〇〇〇、〇〇〇円分を被告人に渡して貸付を受けたものであることが認められ、これが病院経営上必要な経費にあたることは認めがたい。

同五三年の1ないし3につき、証拠ことに稲岡祐、石井光次の検察官に対する各供述調書(八七、一四九)、井本訓右の検察官に対する供述調書の添付書面(一二一三)、牛島信幸作成の供述書(一五六)、証人奥山昌明(二八)、同井本訓右(七〇)、被告人の検察官に対する各供述調書(二六〇、二六三、二六九、二七三)等によると、これらが実際の取引を伴わない架空の計上であることが認められる。

一五 諸会費について

昭和五三年 一、〇九三、〇〇〇円

検察官は、昭和五三年において、被告人の諸会費の架空計上、過大計上があり、これらの差し引き合計が右のとおり(その内訳は別紙(二四)の諸会費増減内訳のとおり。)であることを主張し、弁護人らは、これらが架空、過大計上であることは認め、別途必要経費に支出したことを主張する。

これにつき、被告人の供述書は弁護人らと同趣旨を述べる。

証拠ことに、川井清一の検察官に対する供述調書(一五七)、証人前田隆英(一三二)、被告人の検察官に対する供述調書(二六〇)等によると、これらは諸会費としては架空の支出であることが認められる。

一六 雑費について

昭和五二年 △一三、〇〇〇、〇〇〇円

同五三年 △ 五、六四三、〇〇〇円

同五四年 △ 九、〇六四、〇〇〇円

検察官は、昭和五二ないし五四年において、被告人の雑費の架空計上、簿外支出があり、これらの差し引き合計が右のとおり(その内訳は別紙(二五)の雑費増減内訳のとおり。)であることを主張し、弁護人らは、

同五二年

1 簿外支出 △一三、〇〇〇、〇〇〇円

は、金額が過少である。

同五三年

1 架空計上・湯山製作所 七・一六 二五七、〇〇〇円

は、被告人の知らないことで、犯意がない。あるいは、奥山が支出した交際費である。

2 架空計上・汚水排水協議会 一〇・四 二、一〇〇、〇〇〇円

3 架空計上・永晃 一・二七 五、〇〇〇、〇〇〇円

は、架空であるが、他の必要経費にあてている。

4 簿外支出 △一三、〇〇〇、〇〇〇円

は、金額が過少である。

同五四年

1 架空計上・前切正 五・二六 三、九三六、〇〇〇円

は、公害の示談金で、必要経費である。

2 簿外支出 △一三、〇〇〇、〇〇〇円

は金額が過少である旨を主張する。

この点に関して、被告人の供述書は、必要経費の支出について述べている。

同五二年1、同五三年4、同五四年2の各簿外支出につき、証拠ことに被告人の検察官に対する各供述調書(二五一、二六八)によると、被告人は諸雑費は各年間一三、〇〇〇、〇〇〇円である旨を供述しており、格別反対の証拠はないので、検察官主張のとおりこの金額を認めるのが相当である。

同五三年の1につき、証拠ことに平岡渡の検察官に対する供述調書(一五九)、被告人の検察官に対する供述調書(二六〇)によると、この計上に使われた湯山製作所の病院設備保安対策ゼミナール分の領収証は、作成名義人の知らないもので、架空計上と認められる。

そして、右の被告人の検察官に対する供述調書によると、被告人は捜査段階で、これは経理の方で処理したもので被告人には分からないと述べているが、濱中壽一の検察官に対する供述調書添付書面写(一一六四)、証人濱中壽一(五五、五六)によると、当時近藤病院の経理担当の濱中は、この二五七、〇〇〇円を、いわゆるB資金として神戸北農協の支所に預金したこと、濱中は、被告人からプールしてくれとか、B資金に回してほしいとか言われたときに、このように預金をしていたことなどが認められ、この間、被告人がこれを知らなかったという事情は認めがたく、故意及び不正行為との因果関係があるということができる。

2につき、証拠ことに加藤敏秋の検察官に対する供述調書(一六〇)、証人井本訓右(七一)、被告人の検察官に対する各供述調書(二六〇、二六三)によると、この計上は架空と認められる。この点について、証人井本訓右(八一)は、奥山昌明から、同人が加藤へ金を出して農水路問題を解決したように聞いた趣旨を述べているが、加藤自身はこの点を否定しており、右認定はやむを得ないところである。

3につき、証拠ことに松本洋助の検察官に対する供述調書(二七)、被告人の検察官に対する供述調書(二六〇)によると、松本は、近藤病院の慰霊碑建立の手付金としてこれを受取り、その後、話は沙汰やみになって、そのまま預かっているといい、被告人の供述も同趣旨である。しかし、そのとおりとしても、この支出は前渡金にあたるものと考えられ、同年の必要経費とは認められない。

同五四年1につき、証拠ことに前切正の検察官に対する供述調書(一一九六)、証人前切正(六七)、同前切英子(八六)、同大垣典夫(一〇四、一〇五)、近藤病院俯瞰写真(弁一七四)、昭和五三年確定申告分領収証書等一綴(二五〇)、不動産売買契約証書等四枚(二五一の一ないし四)、被告人の検察官に対する供述調書(二七一)、被告人の供述(ことに一二〇)等によると、近藤病院では、病院敷地の拡大の必要から、郵便局員である前切正所有の土地を買い入れることにしたが、この土地はもと有野町有野二四六一番の一で、同人は、少し前からこの土地の耕作をやめており、病院の浄化槽工事に際しては堀り上げた土の置場に土地の一部を提供したこともあったが、売却に際してはこれを七筆に分筆し、このうち六筆を、同五三年以降二筆ずつ病院に売ることにし、あとの一筆は大垣に売ることにした。そして同五三年には土地二筆を一筆あたり一、〇〇〇、〇〇〇万の合計二、〇〇〇、〇〇〇円で被告人に売ることになったが、このころ、前切正と、その母の前切英子は、譲渡代金にかかる所得税を被告人に負担してもらおうと考えてその旨申し入れ、被告人と前切英子の間で交渉ののち、被告人はこの申し入れを受けることにしたが、その処理について税理士と相談した結果、税金分として負担すると、税務上問題があるので、当該土地は病院の隣の土地で、前に注射針などの混入、夜間照明による収穫減などの苦情があり、病院の浄化槽建設の土置場に使用したこともあったことなどから、これを補償する名目で土地代金とは別に税金相当額を支払うことを前切英子に告げておいた。このため、前切正は、同五四年になって、同五三年分の給与と、右二筆のほか大垣に売った一筆の譲渡代金の所得に対する所得税として支払った四、二三一、六〇〇円の領収書を病院に持参したので、被告人は、その金額中、二筆の土地代金にかかったものとみられる三、九三六、〇〇〇円を算出してこれを前切正に支払ったが、その際に、「近藤病院浄化システム工事に伴う損失、土地修復工事、農道、農水路補修、作物の損失」を原因として記載した示談書を作ったことが認められる。そして、証拠上、前切方では、年間の譲渡所得を押さえるため三年に分けて売却するなど、税金の軽減に熱心であり、この二筆についても当初から税金の負担を要求していること、支払金額やその決定方法自体、この金銭の実質が土地代金の税金の肩代わりであることを示していること、いわゆる公害補償について資料提出や協議のあったことは認められず、補償の点が双方の関心外であったことを示していること、証人大垣典夫(一〇四、一〇五)によると、同五九年以降になって、前切英子は、大垣典夫の仲介により、病院の夜間照明で稲の成長が止まったことの迷惑料などとして、一、〇〇〇、〇〇〇円を被告人の負担において別に支払を受けていることなどを考慮すると、この三、九三六、〇〇〇円は、税金分の肩代わりを公害補償に仮装したものと判定するのが相当である。

一七 青色取消益について

昭和五二年 三、一四六、四一二円

同五三年 △ 一、四〇四、三四一円

同五四年 二八、一一五、八九五円

検察官は、昭和五二ないし五四年において、被告人の青色取消益があり、その合計が右のとおり(その内訳は別紙(二六)の青色取消益内訳のとおり。)であると主張し、弁護人らは、各年につき、青色取消益は犯則所得にならない旨及び、

同五四年

1 専従者給与 三〇、〇〇〇、〇〇〇円

については、近藤千里は被告人とは独立した別科目の診療に従事する医師であることを主張する。

証拠ことに大蔵事務官作成の証明書(七ないし一〇)、押収してある五二年度分確定申告決算資料綴、五三年度分確定申告決算資料綴、五四年度分確定申告書綴(一ないし三)、被告人の検察官に対する各供述調書(二五五、二六五)によると、被告人は昭和五六年三月三日に青色申告の取消の通知を受けたこと、被告人は従来右各年につき各種引当金、準備金の繰入れ、繰戻しをしていたので、これが税法上否認されること、また、青色申告控除の適用がなくなり、事業専従者控除として近藤千里の分が年額四〇〇、〇〇〇円認められるが、同五四年につき青色専従者給与三〇、〇〇〇、〇〇〇円の経費算入は税法上否認されることが認められる。

同五四年1につき、近藤千里が被告人とは別科目の医師であっても、居住者である被告人と生計を一にする配偶者であるから、被告人の事業に従事して対価を受ける場合にも、青色専従者給与にあたるとき以外はその対価を居住者の必要経費に算入できないこと、本件の青色取消益が犯則所得に含まれると解すべきであることは、先に人件費の項で説示したとおりである。

一八 特別必要経費について

弁護人らは、検察官主張の各年の経費の架空、過大計上等の一部について、実支出であることを主張しており、これについては各項目においてそれぞれ判断をしたが、このほかに、弁護人らが、架空、過大計上があるものの、それは別途病院の特別の必要経費に支出した旨の主張をしているものがあるので、ここでその特別必要経費に関して判断することにする(二の原材料仕入高の項で、簿外仕入を認定した部分は除く。)

特別必要経費の主張は、弁護人らの冒頭陳述書(その五)、同(その六)に記載されているが、これに被告人作成の供述書(第九回)や、同作成の「弁護団作成の冒頭陳述書その(5)、その(6)の特別簿外経費支払の明細書を更にくわしく整理したもの、及びその他のPLの説明書」と題する書面等の趣旨を加えたものの要点は、別紙(一一)ないし(一八)および(二〇)ないし(二五)のそれぞれ「弁護人らの特別必要経費の主張」欄に記載のとおりである。

右主張を、その経費の支出の目的によってみると、

〈1〉 第一回査察事件以後の近藤病院の経営経理の再建、医薬分業による北神中央医療(調剤)薬局設立、二千商事運営、老人医療対策、MS法人等厚生省関連の中央情報収集ないし対策樹立、政治家との接触、万亀園関係。

〈2〉 医療について指導協力を得ている兵庫医科大学・伊藤教授、三浦順郎助教授、労災病院井内良夫、三浦順郎への謝礼(検査棟関係、手術棟関係、コンピューター、RI、全身用CT、医師派遣関係を含む)、指導税理士への謝礼

〈3〉 検査棟建設、外来ロビー建設、道路拡張関係、区画整理対策の弁護士費用

〈4〉 地区の農水路公害対策

〈5〉 井本の未収入金取立て謝礼、井本への手形割引

〈6〉 看護婦・検査技師・医師の募集、脳外科患者誘引、人間ドック患者集め

〈7〉 医師会、警察、消防、社会保険診療報酬支払基金、国保連合外、社会保険事務所、労災保険事務所への経費

〈8〉 山中副院長経費

〈9〉 関西医大前田教授への謝礼

〈10〉 被告人の交通事故費用

〈11〉 ボブキャットのレジスター代金

〈12〉 全身用CT購入の旅行

〈13〉 その他(木元の簿外資金、濱中名義預金というが具体的支出目的不明のもの、千里の簿外経費、奥山の使途不明金)

のように分けることができる。

そして、個々の特別必要経費については、被告人の供述書が詳細に述べているところである。

〈1〉のうちいわゆる経営経理の再建については、被告人の供述書および被告人の供述によると、昭和四七年の第一回の査察事件後、今後の近藤病院の経営指針として、病院といわゆるMS(メディカルサービス)法人との並行経営をすることが構想され、これについては多くの国税局、税務署等のOB税理士の指導を受けたが、第一回査察事件の終結方法、預金等について、税徴収との関係で留保資産をどうするか、MS法人の定款をどうするか、日本の多くの病院がMS法人との並行経営をどうしているか、MS法人に対する大蔵省、日本医師会、病院協会、税法学者、税理士連合会、各政党等の考えはどうか、MS法人との並行経営では医療法や医療行政に触れるか、対所轄税務署対策はどうするかなどの情報を得る目的で特別の経費が必要であったというのであり、医薬分業による北神中央医療薬局設立、二千商事運営に関する経費も、右に関連するものであり、中央情報、対策の点は、老人の患者の増加に関連し、病院のほかに万亀園(社会福祉法人万亀会経営)を設立した前後に、老人医療についての情報を必要としたので、前記MS法人の点と合わせて、厚生省関連の中央情報収集及び対策の樹立をするについて費用を要し、関係の政治家との接触等の必要もあったというのである。

被告人の供述書、被告人の供述は、これら経費の必要性、検察官主張の架空、過大計上のうちの多数が、実際にはこのような目的で支出したものの、性質上領収書が取れないために他の取引を仮装したに過ぎないと述べるのであるが、前記の各別紙に記載した各主張によると、右〈1〉に該当する架空、過大計上は、井本に渡したとされる

原材料仕入高(昭和五二年)

4 五、〇〇〇、〇〇〇円

五、〇〇〇、〇〇〇円

同五三年

1ア 五、〇〇〇、〇〇〇円

三、二三〇、〇〇〇円

五、二三〇、〇〇〇円

二、六五九、〇五〇円

五、三九一、一〇〇円

一、八八六、〇〇〇円

一、八六〇、〇〇〇円

七、一五〇、五〇〇円

二、六五〇、〇〇〇円

一、六六五、〇〇〇円

三、〇〇〇、〇〇〇円

三、七八五、〇〇〇円

の一部

砂田重民事務所、中西一郎事務所に渡したという

医療材料費(同五二年)

1エ 一、七七五、五八〇円

近藤千鶴経由国税庁職員に渡したという

医療材料費(同五二年)

2ウ 一、七一五、三〇〇円

伊藤教授、池田税理士に渡したという

医療材料費(同五三年)

1イ 一、六八五、〇〇〇円

井本、清元県議に渡したという

医療材料費(同五三年)

2カ 九四六、五〇〇円

井本、清元県議に渡したという

医療材料費(同五四年)

4 一、二八五、〇〇〇円

伊藤教授らに渡したという

医療消耗品費(同五三年)

1ウ 五五〇、〇〇〇円

井本、戸井田代議士、清元県議らに渡したという

医療消耗品費(同五三年)

1エ 一、七七六、〇〇〇円

オ 二、七九八、〇五〇円

伊藤教授、池田税理士に渡したという

医療消耗品費(同五三年)

1オ 一、八六四、四〇〇円

塩郷永治に渡したという

医療消耗品費(同五三年)

2ア 二、二五六、〇〇〇円

伊藤教授、井本、戸井田代議士、清元県議に渡したという

医療消耗品費(同五四年)

3 一、〇五〇、〇〇〇円

伊藤教授に渡したという

研修費(同五四年)

1 四九〇、〇〇〇円

井本に渡したという

修繕費(同五二年)

1イ 一、五〇〇、〇〇〇円

井本に渡したという

修繕費(同五二年)

1エ 三、七二五、〇〇〇円

池田税理士、伊藤教授に渡したという

修繕費(同五三年)

1イ 七七六、〇〇〇円

井本に渡したという

修繕費(同五三年)

1ウ 五、〇〇〇、〇〇〇円

五、四五〇、〇〇〇円

井本、戸井田代議士、清元県議らに渡したという

修繕費(同五三年)

2 三、六五〇、〇〇〇円

延原敏夫に渡したという

修繕費(同五三年)

4 一、〇〇〇、〇〇〇円

井本に渡したという

修繕費(同五三年)

6 五、〇〇〇、〇〇〇円

井本経由清元県議に渡したという

保守料(同五四年)

5 一、〇〇〇、〇〇〇円

井本に渡したという(パーティ券代を含む)

調査費(同五二年)

1 三、〇〇〇、〇〇〇円

井本に渡したという

調査費(同五三年)

2 六、三二八、九〇〇円

井本に渡したという

雑費(同五三年)

3 五、〇〇〇、〇〇〇円

である。

証拠ことに前記被告人の供述書や供述によると、これらの支出の必要性について相当詳しく述べる反面、その支出に関する請求書、領収書等は全くなく、その日時、摘要については、不明確であり、この支出及びその目的の認定には、裏付けが必要と考えられる。

そこで、まず、この種の金銭の大部分の授受に関係したとされる伊藤信義についてみると、同人はすでに死亡しているが、その大蔵事務官に対する質問てん末書(一一三)によると、同人は昭和三二年ころから、被告人を知り、のちに設立された近藤病院を援助して、手術の指導等をし、昭和五六年当時月に二二〇、〇〇〇円の定額の謝礼を得ており、同五二年に一〇年目ということで謝礼一、〇〇〇、〇〇〇円をもらい、ほかに同五三年一月、自動車買い入れの費用の一部として一、六〇〇、〇〇〇円をもらったこと、しかし、捜査官に示された兵庫医大第二外科教室代表三浦順郎名義の同五三年一月二五日付救急呼出し用旅費五〇〇、〇〇〇円、同年三月二三日付兵庫医大第二外科PC一、〇〇〇、〇〇〇円、同年一一月一五日付兵庫医大第二外科委託研修費一、〇〇〇、〇〇〇円、同年一二月一二日同右一、〇〇〇、〇〇〇円、同五一年一二月一六日(ケフリン)一、二八八、四〇〇円の五枚の領収書等は、いずれも筆跡が違い、作成名義も正当でないこと、ただ、右一、六〇〇、〇〇〇円のものは前記自動車代に相当することが認められるが、同人は、前記のような目的での金銭の受け渡しについては何も述べていない。

また、三浦順郎の検察官に対する供述調書(一三二)によると、同人は当時兵庫医科大学講師(同五六年二月から助教授)であるが、同三七年ころ被告人と知合い、手術の手伝いなどに行き、その報酬は月に一五〇、〇〇〇円であり、同五五年八、九月からは、一七〇、〇〇〇円であること、同四八年ころから兵庫医大の医師に声を掛けて、三名位が週二回位の割合で近藤病院の当直医に出掛けているが、これに対しては病院が報酬を払っていること、夜間手術で自分の車で手伝いに行っても、その報酬も月給に含まれていて、特別の手当や車代はなかったこと、領収書中、同五三年一月二五日付救急呼出し用旅費五〇〇、〇〇〇円は受取の事実がなく、ただ同五二年一月ころ、三浦の買った車の頭金五〇〇、〇〇〇円を被告人が払い込んでくれたこと、同五三年三月二三日付兵庫医大第二外科研究助成費一、六〇〇、〇〇〇円はもらっておらず、当直医の派遣についても院長から謝礼はもらっていないこと、同五三年七月二六日三浦ほか四名の医師が新潟大学主催の外科学会に出席した費用一、〇七二、五一五円は、実際はホテル代だけの七二、五一五円で、一、〇〇〇、〇〇〇円は水増しであること、同五三年一一月一五日付兵庫医大に対する委託研究費一、〇〇〇、〇〇〇円は、受取の事実がなく、研究費、賛助金は全くもらっておらず、同五三年一二月二日付委託研究費一、〇〇〇、〇〇〇円も同じであること、これらの三浦名義の各領収書は筆跡が違い、判も違うこと、三浦は、同五三年四、五月の連休に、兵庫医大の稲本医師、労災病院の前之園医師、井内医師とともに被告人の招待で六日間位の日程でインドネシア旅行をし、その費用一切は被告人が負担したことがあること、同五一年の兵庫医大の医局の忘年会に二、三万円を被告人からもらい、同五二年の忘年会にはビール二、三ダースをもらったことなどが認められるが、同人の右検察官に対する供述調書によると、それ以外の受領はない趣旨である。

また、井本訓右の近藤病院に対する関係は、前記支払手数料に関して認定したところであり、同所に挙示の証拠や、証人濱中壽一(五五ないし五八、八五、八七、八八)によると、そのほかに井本は、被告人の前回の脱税事件について、政治家やその周辺の人に必要経費の意見等を聞いたことがあり、同五一年か五二年には中西参議院議員の紹介で被告人と同行し、国税庁の長官や次長と会い、前回の脱税事件について陳情したことがあること、その際被告人が中西側に金銭を渡したこと、井本は前回の査察事件について、同五〇年前後に元査察部の大西管理課長などのところへ必要経費の意見を聞きに行ったこと、被告人に勧めて、戸井田代議士のパーティ券を二、〇〇〇、〇〇〇円分買わせたことがあること、万亀園設立については、姫路の清元県議の紹介で当時厚生政務次官の戸井田三郎代議士に、厚生省の予算の獲得や、設立前後のことを相談して側面的協力をし、万亀園診療所は、養護老人ホーム内の医療機関で、本来、作ってはいけないことになっており、加古川の医師会も反対したが、井本は浜西元議長に接触し、被告人が同人と話をしたことがあり、結局診療所ができたこと、井本は県会議員選挙に際して万亀園名誉園長の肩書きを使用したこと、なお、医療材料費(同五三年)2カの九四六、五〇〇円は、井本としては、被告人が清元県議と、被告人の行き付けのクラブなどに行ったのではないかと思っていること、被告人と清元は度々会っていること、井本は被告人に香川県の木村武千代という当時大蔵委員の代議士や、砂田重民代議士を紹介したこと、第一回査察事件のあと、井本は被告人に税理士を紹介したこと、近藤病院の経理係の濱中壽一は井本の従兄弟であり、債権管理の門長貫一は井本が病院に紹介したことなど、病院に対する関与が深かったことが認められる。

しかし、証人井本訓右は、検察官が例示的にした質問に対し前記「PLの説明書」中の、前記の修繕費(同五三年)2、雑費(同五三年)3、医療材料費(同五四年)4、医療消耗品費(同五四年)3、保守料(同五四年)5、修繕費(同五二年)1イ、修繕費(同五二年)1エ(前記分類の〈5〉)、医療消耗品費(同五三年)1エ、オ、医療消耗品費(同五三年)1オ、前記医療材料費(同五三年)2カにあたる金銭はもらっておらず、そのほか、選挙以外にも、一〇万、三〇万(五〇万円もあったかも知れない。)位の金をもらったことはあるが、老人医療対策や中央情報収集で一〇〇万、五〇万というような、まとまった金を受け取ったことはないと述べ、また、MS法人という言葉は知らず、近藤病院関係の二千商事の設立、ボブキャット(喫茶店)の開店や、北神営繕の目的に医薬品販売が加わったことは、いずれもあとで奥山に聞いて知ったこと、被告人から老人医療の関係で厚生省などの中央情報を取ってくれと頼まれたことはなく、その能力もないこと、戸井田代議士から中央情報を得たことはないこと、なお病院設備の考案などは井本はできないこと、なお、被告人から経営経理の再建という言葉は聞いたことがなく、意味が分からないことなどを述べているのであり、被告人の述べるところとは相反するといわねばならない。

なお、池田卓弥の検察官に対する供述調書(一二二三)によると、被告人がMS法人の設立、運営に関して金銭を渡したという池田税理士(医療材料費五二年2ア、五三年1イ、医療消耗品費五三年1ウ、オ、修繕費五三年1イ)は、〈1〉のような趣旨での活動や、その報酬があったかどうかについては述べていない。

また、証人濱中壽一(八七)は、濱中は院長が井本に対して県との折衝、政治的な人との接触の橋渡しに対し、簿外の謝礼などを出していると感じた趣旨の供述があるが、その井本の行為の病院業務遂行上の必要性は不明であるといわざるを得ない。

これらによってみると、右〈1〉の趣旨での各支出については、伊藤と井本、池田の供述によるそれぞれの具体的な裏付けはないものといわざるを得ない。

更に、被告人がこの種の支出の関連で名を挙げる井内良夫、戸井田三郎、砂田重民、中西一郎、清元功章らについては、その支出の有無及びその支出の目的に関し、これらの人物あるいは窓口となった者の具体的な供述は得られない。

ただ、証人木元美文(一五一、一五二)、木元美文の日誌抄(弁一七三)によると、近藤病院の管理局長である木元が付けていた日誌には、同五一年一〇月に「石井一二と院長神戸で話合い」、同五三年一月に「清元県議との話合い」、同年六月に「砂田事務所竹本氏よりTEL」、同年七月に「石井一二パーティ平安閣」、同年七月に嵯峨、自民党清元、井本の電話番号の記載があり、同年八月に「清元議員東京行みやげ打合」、「戸井田様秘書藤川より」同年一〇月に「加古川浜西議員宅」、同年一二月に「姫路清元議員宅」、同五四年二月に「浜西先生にTEL、嵯峨先生と夕食会」、「加古川議長浜西先生に面接」、同年三月に「伊藤国衛後援会有馬にて、石井一及び石井一二と話」、五四年九月に「砂田重民氏来院」、「清元県議TELするも不在」、「清元県議とさかえにて碁」、同年一〇月に「清元県議一八日の打合せ」、「夕清元県議富久寿し、碁一一時まで」、同年一二月に「清元県議入院見舞」等の記載があることや、前記証人井本訓右の供述等からみて、被告人が、当時、近藤病院の業務との関連の程度は別として、ここに名の出ている政治家らと接触を持っていたことが認められるから、被告人において、その接触の間に、前記証人井本が触れているものを含めて、なんらかの出損をしたことは想定しうるものの、問題は更にその支出の具体的目的及びその経理上の必要性であって、この点については前記の証拠によっても肯認できない。

元来、前記の「経営経理の再建」は、これを、前回の査察事件当時の近藤病院の経理や、進んで経営のやり方を改善するという趣旨に解する限りでは、抽象的には被告人の近藤病院経営の業務の遂行に関するものであるといえるものの、右のような証拠の状況では、各主張の支出は、仮にあったとしても、具体的に近藤病院の業務遂行に必要な支出であったものとは、遂に認定できないというべきである。

一方、前記のうち医薬分業による北神営繕、二千商事の設立、運営、老人医療対策、MS法人に関する中央情報や政治家との接触、援助は、むしろ、北神営繕、二千商事という法人自身の設立の関連費用であり、ただちに被告人の必要経費とすることはできないと考えられる。

そして、前記のような証拠の状況に鑑みると、〈1〉の各支出は、その具体的な支出の必要性が認められないので、これらを被告人の近藤病院の業務遂行上の必要経費とすることは到底できないといわざるを得ない。

次に、証拠ことに、被告人の供述書、被告人の供述によると、前記の支出目的のうち〈2〉の、医療についての指導協力者や税理士に対する謝礼というのは、医療の面では、近藤病院が設立の当時から、兵庫医科大学第二外科(初めは神戸大学)の伊藤信義教授に指導や医師派遣の斡旋を受け、右伊藤や、同人の主宰する兵庫医大第二外科の助教授である三浦順郎、神戸労災病院麻酔科部長の井内良夫らから、全身用CT、頭部CT、全自動脳血管撮影装置、超音波断層機、心電コンピューター分析機の導入、血球計数器との連合の研究、検査棟の血液生化学、生理学検査のコンピューターの導入、研究、検査棟の機器と中央四階の重患室や中央二階手術室へのオンライン設備の研究、RI(ラジオアイソトープ)設置とその浄化装置の研究、対策、手術室拡張に際して設計の近代化の研究指導等、病院運営を含めて医療の面で指導援助を得たことに対する同人らに対する経費、謝礼、その他病院経営に協力を受けた医師らへの謝礼をいい、税理士については、第一回査察後のいわゆる経営経理の再建やMS法人設立等のために指導を受けた税理士の池田貞彌、嵯峨時重らに対し支出した経費、謝礼をいうのであり、これに該当するのは、

伊藤教授に渡したという

人件費(同五二年)

2 六九〇、〇〇〇円

池田税理士に渡したという

人件費(同五四年)

2 三〇〇、〇〇〇円

伊藤教授、三浦助教授に渡したという

医療材料費(同五二年)

1ア 一、九四三、二〇〇円

イ 一、七六五、九〇〇円

一、五八四、四〇〇円

一、八八四、三五〇円

伊藤教授、井内部長らに渡したという

医療材料費(同五二年)

1エ、オ 一、七六九、五〇〇円

一、七二三、五八〇円

九八六、〇〇〇円

一、八七九、三〇〇円

伊藤教授に渡したという

医療材料費(同五二年)

1オ 一、七三四、九七〇円

井内部長に渡したという

医療材料費(同五二年)

2イ 二、二一六、五四〇円

伊藤教授に渡したという

医療材料費(同五二年)

2エ 一、三六六、五八〇円

伊藤教授に渡したという

医療材料費(同五三年)

1ア 一、二九〇、〇〇〇円

伊藤教授、井内部長に渡したという

医療材料費(同五三年)

2ア 一、三八八、六〇〇円

一、八一〇、〇〇〇円

一、八五九、〇〇〇円

一、六八八、七〇〇円

イ 一、八七九、五〇〇円

一、七四九、六〇〇円

ウ 一、八九四、〇〇〇円

エ 一、八五六、四〇〇円

一、七九六、〇〇〇円

嵯峨税理士に渡したという

医療材料費(同五三年)

2オ 二、七九六、五〇〇円

一、七七〇、二〇〇円

伊藤教授に渡したという

医療材料費(同五四年)

2ア 四〇〇、〇〇〇円

伊藤教授に渡したという

医療消耗品費(同五二年)

1ア 二、一八九、四〇〇円

伊藤教授らに渡したという

医療消耗品費(同五二年)

2ア 一、九七七、八〇〇円

伊藤教授、井内部長らに渡したという

医療消耗品費(同五三年)

1ア 一、八八五、五〇〇円

伊藤教授に渡したという

研修費(同五三年)

2 一、六〇〇、〇〇〇円

伊藤教授に渡したという

研修費(同五三年)

3 四、三五〇、〇〇〇円

伊藤教授、井内部長に渡したという

修繕費(同五二年)

2 一、〇〇〇、〇〇〇円

伊藤教授に渡したという

修繕費(同五二年)

3 一、三六五、〇〇〇円

伊藤教授、井内部長に渡したという

保守料(同五四年)

6 九八四、〇〇〇円

であるというのである。

これらに対する謝礼の支払は、やはり請求書、領収書等の証拠がないのであるが、まず伊藤教授、三浦助教授に関しては、前記の伊藤信義の大蔵事務官に対する質問てん末書、三浦順郎の検察官に対する供述調書の中で、相当の謝礼について述べており、これらは公表に計上され、あるいは検察官としても、簿外経費として計上を認め(前記研修費同五三年2の一、六〇〇、〇〇〇円は人件費同五三年10、前記伊藤の同五二年中の一、〇〇〇、〇〇〇円は人件費同五二年5)ているところ、両名は、前記供述内容のほかには、金銭等受取の事実がない趣旨を述べているのであって、捜査官に対し、細かい受領物まで詳細に述べているその供述態度からみて、ほかに被告人の主張するような巨額の支払があるのに、これを隠しているものとは考えられない。

この点につき、証人近藤千里(八三、八四)は、伊藤に対しては、給料以外にサービスとして、伊藤の出る学会の費用を年に何回も援助し、あるいはネパール出張の雑費として一回に一、〇〇〇ないし二、〇〇〇ドルを年に三、四回、三、四年間にわたり用立てし、伊藤の妻が産婦人科病院を改築したときには、冷暖房設備等を寄付し、伊藤の教授室の秘書は、近藤病院または二千商事から派遣している旨、また三浦や井内に対しても、車の買い換え費用を援助した旨などを述べているが、これらは、証拠上その事実関係を認定するに十分ではない。

税理士に対する簿外の謝礼について、嵯峨時重の検察官に対する各供述調書(一二二一、一二二二)によると、同人は、近藤病院の顧問税理士となる直前の同五二年九月ころ、喫茶店の開業資金として、一、〇〇〇万円を被告人から受取ったが、これは借りたものであると述べており、これを嵯峨に報酬等として渡したのかどうかの事実関係は明確ではなく、この支出が被告人の事業の遂行に必要なものとも判定しがたい。また、池田卓弥の検察官に対する供述調書(一二二三)は、ここでの被告人の主張に対応するような事実は述べておらず、被告人が〈2〉の目的で税理士らに渡したという金銭(例えば人件費同五四年2の三〇〇、〇〇〇円、医療材料費同五三年2オの二、七九六、五〇〇円、一、七七〇、二〇〇円)についても、これを認めるに足る証拠はなく、その他の証拠を調査しても、被告人主張の点の心証を惹く証拠はないといわざるを得ない。

また、諸会費同五三年2(温古会)二九三、〇〇〇円のように、協力医師への謝礼として三宮のムーンライトに払ったという場合、その支出を隠して神戸市立中央市民病院の在職、退職者の会である温古会への支払いを仮装する理由は理解しがたいところであり、被告人の供述だけではその支払の心証を得られず、この金額の必要経費を認めることはできない。

〈3〉は、近藤病院では、先に修繕費の項で認定のとおり、同五二年に二千商事が検査棟を新築し、同五三年にも二千商事が本館ロビーを増築し、同五四年に北神営繕が手術棟を増築したが、被告人の供述書、被告人の供述によると、これらに関し、検査棟の構造、設計に関する費用、検査棟に内蔵された検査機器と中央四階の重患室や中央二階の手術室とのオンライン設備の研究、外来ロビー建設に関し、近傍の公共道路拡張工事の関係機関との折衝、病院拡張の根回し、道路拡張工事と区画整理への対策検討の経費を要したというのである。これに該当するのは、前記のうち、

日立メディコの岸某に渡したという

医療材料費(同五二年)

1ウ 一、八三九、七五〇円

一、八二五、五〇〇円

二八五、〇〇〇円

二三六、二五〇円

一、七九八、四〇〇円

伊藤教授、井内部長に渡したという

医療材料費(同五二年)

1エ 一、七六九、五〇〇円

一、七二三、五八〇円

九八六、〇〇〇円

オ(同) 一、八七九、三〇〇円

井内部長に渡したという

医療材料費(同五二年)

2イ 二、二一六、五四〇円

植中強一市会議員に渡したという

医療消耗品費(同五三年)

1イ 一、三八七、〇〇〇円

被告人が窓口であるという

医療消耗品費(同五三年)

1イ 一、七七六、〇〇〇円

植中市会議員に渡したという

接待交際費(同五三年)

4 五〇、〇〇〇円

植中市会議員に渡したという

支払手数料(同五三年)

1 七〇〇、〇〇〇円

鍛冶巧弁護士に渡したという

支払手数料(同五四年)

1 五〇〇、〇〇〇円

植中市会議員に渡したという

調査費(同五三年)

1 二、五〇〇、〇〇〇円

であるというのである。

この関連でも、その公表外の支出についての領収書等はないので、支出に関与したとされる人物の供述をみると、伊藤信義の大蔵事務官に対する質問てん末書及び同教室の三浦順郎の検察官に対する供述調書の内容は前記のとおりであって、〈3〉の趣旨での公表外の金銭の受領についてはなんら供述がなく、その金銭の認定の証拠とはならないし、井内良夫の供述等もない。また、日立メディコの神戸支店の岸某への支払に関しては、その支出が検査棟の構造、設計に関するというのであれば、正当な領収書が存在しない理由は理解しがたいところがあり、この関係の人物の供述等もなく、この支出の実在、その必要経費性を認定することはできない。

植中強一市会議員の関係、鍛冶巧弁護士(死亡)の関係でも、その供述等はない。そして、被告人が窓口となったという支出も含めて、仮にかかる支出があったとしても、その目的、必要性を肯定するに足る証拠はないから、結局、〈3〉の支出を簿外の必要経費とすることはできない。

〈4〉の地区農水路公害対策の経費についてみると、被告人の供述書、被告人の供述によると、これは、近藤病院所在の有野町有野地区の多数の人に農水路公害対策経費として支出したというのである。これについて、被告人の検察官に対する供述調書では、前記調査費(同五三年)1の二、五〇〇、〇〇〇円との合計四、五〇〇、〇〇〇円は石井恒彦が神戸大学の人を使って浄化槽設置の調査書を作るなどした費用であると述べていたが、石井光次の検察官に対する供述調書(一四九)によると、恒彦は光次の子で宅建業をしていたが、同五四年に死亡しており、浄化槽関係の仕事をしていた事実もなく、このような金額を受け取ったとも思われない旨を供述しており、その他にもこれを主張どおり認定すべき証拠はなく、この点の必要経費を認めることはできない。

〈5〉の未収入金取立て、ないし井本の手形割引のための支出というのは、被告人の供述書、被告人の供述によると、被告人が井本に対して未収入金回収に関連して渡したという金銭や、同人の持ち込んだ手形を割引きする形で渡した金銭等をいうのであり、これに該当するのは、

井本に渡したという

人件費(同五三年)

2 四一四、〇〇〇円

井本に渡したという

人件費(同五三年)

3 三〇〇、〇〇〇円

二〇〇、〇〇〇円

二〇〇、〇〇〇円

三〇〇、〇〇〇円

三〇〇、〇〇〇円

井本の借金を整理する形で渡したという

修繕費(同五二年)

1エ 三、七二五、〇〇〇円

井本に渡したという

修繕費(同五三年)

1イ 七七六、〇〇〇円

井本に渡したという

修繕費(同五三年)

5 三〇〇、〇〇〇円

三〇〇、〇〇〇円

井本に渡したという

福利厚生費(同五三年)

2 二〇〇、〇〇〇円

井本に渡したという

保守料(同五四年)

3 二、〇〇〇、〇〇〇円

井本に渡したという

調査費(同五三年)

3 五〇〇、〇〇〇円

であるという。

この点について、井本の近藤病院に対する関係は、支払手数料の項などで認定したとおりであり、これによると、井本は、同五〇年五月から同五一年八月までは、その妻のノートの記録のように近藤病院の未収入金の取立てをしており、その後も同五三年秋までは少なくとも散発的にはその仕事をしたと推認でき、のち同五四年七月には、井本がかねて知識のある自賠責任保険のことについて病院の木元と会って話をしたことがあることが認められるが、この間、未収入金に関しては取立額の三〇%の歩合を取っていて、これが公表から支出されており、取立ての報酬としてはこれで十分であると考えられ、それ以上のものが仮に支払われていても、必要経費の程度を越えるものというべきである。更に、同五三年秋の報酬については支払手数料の項でこれを是認したところである。

また、前記の認定のとおり、被告人が井本から手形等を受け取って金銭を渡していたのは、割引料の授受はないものの、資金の貸付にほかならないから、この支出が直ちに必要経費となることはないと考えられる。

次に、前記の〈6〉について、これは被告人の供述書、被告人の供述によると、近藤病院の看護婦、検査技師の募集、医師、脳外科患者、人間ドックの患者の誘致の費用、兵庫医大からの医師派遣の謝礼等の簿外の経費をいうのであり、これに該当するのは、

田口広一、塩郷永治、井本らに渡したという

人件費(同五三年)

2 四一四、〇〇〇円

川口武昌に渡したという

人件費(同五三年)

8 二、三〇〇、〇〇〇円

伊藤教授に渡したという

医療消耗品費(同五四年)

2 二三八、〇〇〇円

田口、野津秀子、川口に渡したという

研修費(同五三年)

1 五〇〇、〇〇〇円

伊藤教授に渡したという

接待交際費(同五三年)

2 二五〇、〇〇〇円

田口、野津、被告人経由支出したという

事務用品費(同五四年)

1 八四六、五五〇円

田口、野津、川口に渡したという

修繕費(同五三年)

8 九五〇、〇〇〇円

木元に渡したという

修繕費(同五四年)

5 七四二、〇〇〇円中

六三〇、〇〇〇円

井本に渡したという

福利厚生費(同五三年)

2 一〇〇、〇〇〇円

奥山が延原に渡したという

支払手数料(同五三年)

2 五〇〇、〇〇〇円

奥山が延原に渡したという

雑費(同五三年)

1 二五七、〇〇〇円

であるという。

この点につき、証拠ことに被告人の検察官に対する供述調書(二四七)、近藤病院における昭和五二年、昭和五三年、昭和五四年の医師スタッフ表(弁二〇四)、近藤病院給与台帳五二年度写(弁一一〇)、近藤病院給与明細表(弁一一一)、川口武昌の検察官に対する供述調書(八〇)、伊藤信義の大蔵事務官に対する質問てん末書(一一三)、三浦順郎の検察官に対する供述調書(一三二)、証人田口広一(一一二)、同野津秀子(六三)、同濱中壽一(八七)、同井本訓右(七九)、押収してある五二、五三年度分確定申告決算資料綴、五四年度分確定申告書綴(一ないし三)、同じく五二年ないし五四年分の各補助元帳費用の部(二六六ないし二六八)等によると、近藤病院の診療科目は脳神経外科、一般外科、整形外科、内科、産婦人科、小児科、放射線科、麻酔科及びリハビリテーションで、入院患者は平均一四〇人位、外来患者は一日に二〇〇ないし二五〇人位であるが、医師は同五二ないし五四年は被告人を含め一五ないし一九人で、ほかに応援の医師をいれて二七人位であり、このうち専従は脳神経外科、一般外科の被告人、内科の荻野遙医師、産婦人科の近藤千里、内科、小児科の近藤千鶴(但し同五三年七月まで)だけで、あとは非常勤の医師であり、看護婦関係では、野津秀子婦長以下二八人、他に助産婦二人、看護学生六人の合計三六人程度、検査技師六、七人、他に賄い婦等もあり、別に事務職員等があったこと、看護婦の募集は、同五〇ないし五五年ころは、主として北神営繕社長近藤千鶴の依頼で、田口広一と野津秀子婦長が中心で、七月と二月に愛媛県、長崎県、大分県、鹿児島県の看護学校、看護学科のある高校、普通高校に行っており、初回、近藤千鶴も行ったが、あとは田口だけ、または野津と二人が行き、日程は二泊三日位であり、手土産を持参し、生徒や家族を兵庫県に招待するが、費用は一回に二〇ないし三〇万円であったこと、その経費は病院の公表に計上していたこと、田口は勧誘の相手から、看護学校生徒の場合、一人当り三〇万円位を病院が学校に寄付するものだと聞き、これを野津が被告人に伝えたことがあるが、田口はその寄付手続きをしたことはなかったこと、看護婦になるという人には支度金として五ないし七万円を渡していたが、これも公表経費から出ていたこと、このように、看護婦の募集費用は公表で支出していたが、経理係の濱中の感触では、それ以外の謝礼金などが院長のほうから出ていたのではないかと思っていたこと、井本訓右は小豆島出身で、故郷に帰るとき、看護婦や検査技師等の従業員集めをすると被告人に言ったことがあるが、採用に至った人はないこと、井本は神戸掖済会病院の看護婦を近藤病院に引き抜こうと努力したことがあること、医師の誘致の関係では、伊藤教授の教室の三浦順郎のほか、兵庫医大の医師三名位が、よく近藤病院の当直医をしたが、三浦は特にその斡旋の礼はもらっていないこと、川口武昌は、同五三年に病院に晴木医師を紹介して、七〇〇、〇〇〇円をもらったことがあり(前記人件費(同五三年)8)、これについては、前に野田重雄に渡した白地領収書が金額三、〇〇〇、〇〇〇円とされていたが、その他に医師紹介をしたことはないことなどが認められ、人間ドックの患者等誘致の関係では、井本は、延原敏夫が神戸メディカルセンターを作り、人間ドックの客を近藤病院に送り込んでいたことを知っていたことなどを認めることができる。

そして、看護婦や検査技師の募集の関係で、弁護人らの主張によれば右人件費(同五三年)2、研修費(同五三年)1、事務用品費(同五四年)1、修繕費(同五三年)8を渡されたはずの田口が、簿外支出への関与を否定する趣旨の供述をしていること、同じく塩郷、野津の供述はみられないことなどからすると、この関係の簿外支出は、右の者らに関する分については認定しがたいといわざるを得ない。

また、木元美文に渡したという修繕費(同五四年)5は、証人木元美文(五一、五三ないし五五、一五一、一五二)にも触れられておらず、これを認定しがたい。

医師誘致関係で、人件費(同五三年)8は、右に認定のとおり晴木医師を斡旋した川口武昌が受領した以外の金額であって、ほかに同目的で川口に渡した金銭のあったことは認定しがたい。

医療消耗品費(同五四年)2、伊藤を通じて警察消防関係に脳外科関係患者誘引に使用したという接待交際費(同五三年)2は、いずれも証拠上、事実を認定しがたい。

奥山が延原に渡したという二件については、前記のように延原が人間ドックの患者を送り込む仕事をしていたことは認められるが、その関係で金銭の支出がどうであったかについて、証人奥山昌明、延原敏夫の検察官に対する供述調書(一〇一)では判明せず、この支出を認定しがたい。

次に、前記の〈7〉について、これは被告人の供述書、被告人の供述によると、近藤病院の勤務各医師が世話になっている医師会、病院が経営面で世話になっている警察、消防関係への経費、経営に協力を求めるべき関係機関との折衝に要する費用として伊藤教授や井本訓右に渡したもの、社会保険診療報酬支払基金、国保連合会、社会保険事務所、労災保険事務所等への特別経費として塩郷、木元に渡したものを指し、これに該当するのは、

伊藤教授に渡したという

研修費(同五二年)

2 四、〇〇〇、〇〇〇円

医師会、消防、警察関係の経費という

研修費(同五三年)

4 六〇〇、〇〇〇円

井本訓右に渡したという

修繕費(同五四年)

5 六四二、〇〇〇円中

一一二、〇〇〇円

塩郷永治、木元美文に渡したという

福利厚生費(同五三年)

2 三〇〇、〇〇〇円

であるが、関係者の供述等の裏付け資料に乏しく、これらを認定することはできない。

次に、前記の〈8〉は、被告人の供述書、被告人の供述によると、これに該当するのは、

医師会関係に支出したという

修繕費(同五二年)

1ア 一、八一六、七三〇円

キ 二四六、五〇〇円

黒木輝夫に渡したという

研修費(同五二年)

1 三、五〇〇、〇〇〇円

井内良夫に渡したという

人件費(同五三年)

9 三六〇、〇〇〇円

産婦人科学会に要したという

研修費(同五四年)

2 八〇〇、〇〇〇円

神戸大学医学部東条教授関係に渡したという

接待交際費(同五四年)

1 四三〇、〇〇〇円

であるが、修繕費(同五二年)1ア、キについては、先に、これら二件を原資とした接待交際費(同五二年)2(元副院長開業折衝費)二、〇六三、二三〇円を認定したところである。

証拠ことに黒木輝夫の検察官に対する供述調書(一一八)によると、黒木は神戸市立中央市民病院の外科部長等をしていたが、同病院出身の被告人が近藤病院を開業した当時から援助していた関係で、同五二年一月二八日ころ子供の入学準備に被告人から三、五〇〇、〇〇〇円を借りたこと、そのころ被告人は、胃ファイバースコープ一式を市民病院に寄贈したいが、先に領収書がほしい、と黒木に言って、渋る黒木にその趣旨の領収書を書かせたが、結局寄贈はしなかったこと、なお、この金は翌五三年四月ころ黒木から被告人へ返済されたことが認められる。証人近藤千里(八四)は、この金は実際には差し上げたと述べ、被告人の供述(一二六)は、黒木の子の入学は被告人の世話であり、入学金以外に謝礼が要ったので、伊藤に聞いて、黒木から返ってきた金はその謝礼に回したと述べるが、これらの証拠によると、これは貸付金であるとみられ、また、仮に渡し切りになったとしても、その支出を病院の業務遂行上必要なものとする資料はなく、結局、研修費(同五二年)1の支出を同年の被告人の必要経費と認めることはできない。

また、井内に渡したとされる人件費(五三年)9については、井内良夫の供述はなく、ほかにもこれを認めるに足る証拠はない。

研修費(同五四年)2については、証拠ことに証人近藤千里(八三、八四)によると、被告人の妻で、近藤病院の常勤医師として内科、産婦人科を担当していた近藤千里は、恩師にあたる神戸大学医学部産婦人科の東条教授が国際学会へ行くのに際して、同五四年中に二回に合計八〇〇、〇〇〇円を病院の経費で出したと述べているが、この支出については、被告人の検察官に対する各供述調書(二六二、二六三)によると、いとこの藤原律子、卓夫夫妻が国際産婦人科学会に出席するというので八〇〇、〇〇〇円を渡したと述べており、藤原卓夫の大蔵事務官に対する供述調書(一四二)によると藤原夫妻がこれを受領したり、東条教授に渡した事実はないことが認められるものであり、これを必要経費に認定することはできない。

また、接待交際費(同五四年)1は、証人近藤千里(八三、八四)でも触れず、井内良夫の供述はないもので、東条教授に関する費用についての前記の証拠の状況も考えると、必要経費と認めることはできない。

次に、前記の〈9〉は、被告人の供述書、被告人の供述によると、

前田隆英に渡したという

諸会費(同五三年)

1 八〇〇、〇〇〇円

がこれに該当するのであるが、証人前田隆英(一三二)によると、同人は関西医大第一病理学教室教授をしていたことがあり、被告人は同四二ないし四九年ころ、病院経営の傍ら専攻生として来ており、その後に医学博士の学位を取得した関係にあること、被告人は学位取得の際に謝礼として同教室に代金八、〇六〇、〇〇〇円の顕微測光装置を寄付したが、前田は被告人の依頼で白紙の領収書一四通を渡したことがあることが認められる。その後、これら領収書には、合計一、三〇〇万円を越える金額が記入されているが、このうち、本項目に関係する、同五三年一月二一日付の八〇〇、〇〇〇円、摘要が「国際病理学会経費立て替え分支払」とされている一枚について、同証人は、このころ日本では学会はなく、これはむしろ被告人から、右装置の約八〇〇、〇〇〇円の部品の代金として現金で受け取ったものにほぼ相当していると述べるが、同証人の供述によると同証人は、かねて同五六年二月二七日付の検察官に対する供述調書(一二二八であるが撤回された。)で、この八〇〇、〇〇〇円は知らないと述べていたことが窺われ、前田証人は、当時ははっきりした記憶がなく、もし部品代として聞かれれば思い出していたかも知れないと述べるが、この供述の変遷についての合理的な説明はなく、証人が被告人と親しい立場にあることなどを考えると、公判廷の供述は信用しがたいところがある。また、被告人の検察官に対する供述調書(二六〇)によると、被告人は当初これは前田教授の学会出席費用であると述べており、その供述は変遷して信用しがたいことなどからすると、結局、これを必要経費と認めることは困難である。

次に、前記〈10〉について、被告人の供述書、被告人の供述によると、これは、被告人の往診中の交通事故(前科となったもの。)の解決に要した簿外経費であり、これに該当するのは、

修繕費(同五三年)

3 一、〇〇〇、〇〇〇円

修繕費(同五四年)

4 五六七、〇〇〇円

であるというのであるが、

証拠ことに検察事務官作成の前科調書(二四四)によると、被告人の右前科は、同四八年一二月二六日神戸簡易裁判所で業務上過失傷害罪により罰金二万円に処せられたものを指すと認められるが、右各支出はその五ないし六年後であり、時間的に離れ、事故との関連が不明確であること、更に、被告人の供述等によっても、そのような経費を簿外にした合理的な理由が示されないことなどからみて、これを必要経費とすることはできない。

〈11〉は、被告人の供述書、被告人の供述によると、近藤病院の関連会社の有限会社ボブキャットの経営する喫茶店ボブキャットのレジスターとして購入したが、高級機であるため、一時、近藤病院で使用し、短期間で廃棄したというもので、これに該当するのは、

接待交際費(同五三年)

1 八九三、六〇五円

であるという。

これについて、前記供述書、被告人の供述のほか格別の証拠がなく、必要経費としての認定は困難である。なお、右のような機器は、病院の什器備品であり、その取得費用を直ちに経費とすることはできない。

〈12〉は、被告人の供述書、被告人の供述によると、病院が全身用CTを購入するにあたり、その交渉を有利にするため、日立メディコの岸某に指示されて、被告人の子供たちをCTメーカーの系列の海外研修旅行に行かせたもので、必要経費であるといい、これに該当するのは、

研修費(同五三年)

5 二、三八二、五一〇円

であるという。

証拠ことに被告人の供述(一二六)によると、このため二億四〇〇〇万円のCTが一億四〇〇〇万円になったと述べるが、研修旅行とCTの価格との関連については証拠上明らかでないばかりでなく、元来、右CTを近藤病院が購入したことの証拠はないので、これを被告人の必要経費とすることはできない。

〈13〉は、被告人の供述書、被告人の供述によると、これらは神戸北農協の濱中壽一名義の預金にした旨、またはその上で木元美文あるいは被告人の簿外資金に充当し、あるいは、神戸銀行但馬支店の小切手が奥山に渡されているが使途不明であるものなどをいい、これに該当するのは、

被告人が支出したという

人件費(同五二年)

4 六、四一九、一六四円

木元の特別経費であるという

人件費(同五二年)

3 四四、〇〇〇円

被告人が近藤千里の経費に支出したという

人件費(同五二年)

7 七、八九〇、〇四一円

被告人が支出したという

人件費(同五三年)

12 三九三、三三〇円

被告人が近藤千里の経費に支出したという

人件費(同五四年)

5 五、二五一、二八四円

奥山に渡されたという

修繕費(同五二年)

1オ 三、三八二、六三〇円

神戸北農協に預け入れたという

福利厚生費(同五二年)

2 三一〇、〇〇〇円

木元の特別経費という

保守料(同五二年)

1 九、八八八、〇〇〇円

木元の特別経費という

保守料(同五三年)

1 一〇、一九七、〇〇〇円

木元の特別経費という

保守料(同五四年)

1 一二、三六〇、〇〇〇円

神戸北農協に預け入れたという

保守料(同五四年) 九五四、六〇〇円

神戸北農協に預け入れ、井本関係の経費に支出したという

雑費

2 二、一〇〇、〇〇〇円

であるという。

しかしながら、これらはその支出の目的が不明確で、証拠上、これを必要経費と認定することは困難である。

その他、弁護人らが主張する特別経費を個別に検討しても、その中から、特別の必要経費を認めることはできない。

第二 弁護人らは、本件の脱税に関する各起訴状には、被告人が、自己の申告所得に対応する所得税額が、昭和五二年については七、八〇八、七〇〇円、同五三年については一四、四四九、六〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出した旨記載されているが、この金額は、いずれも、被告人が源泉徴収税額を控除した納付税額として申告書に記載した金額であり、起訴状の記載は誤っている。また、検察官がその論告で、この数字を根拠に、本件のほ脱率が九六%以上の高率であると述べたのは故意に被告人の悪性を誇張しようとするものであると主張する。

本件の昭和五六年三月五日付、同年三月三一日付各起訴状(前者については、第一回公判で起因変更したもの。)を検討すると、弁護人主張のとおりの記載があることが認められる。また、前記の押収してある当該年度の確定申告決算資料綴(同押号の一、二)によると、この金額は被告人提出の各確定申告書の申告納税額欄の金額に相当し、これは弁護人主張のとおり、源泉徴収税額を控除した金額であること、なお、検察官の脱税額計算書を参照すると、各起訴状では、被告人の申告額のほか、実際の総所得金額に対する所得税額についても、源泉徴収税額を控除した金額によっていることが認められる。

この点につき、所得税法(後記改正前のもの。)二三八条一項、一二〇条一項三号に規定する「所得税の額」は、源泉徴収税額を控除する前の税額をいうものと解せられることからすると、各起訴状のこれらの記載は、その金額が源泉徴収税額の控除前の税額である趣旨にもとられるおそれがあって、その記載は適切ではないといわねばならない。更に、検察官の主張する金額について、それぞれ源泉徴収税額の控除前の金額をとってそのほ脱率を試算すると、同五二年は約九一%、同五三年は約八九%、同五四年は約九七%となるから、論告(一三〇ページ)が、本件のほ脱率はいずれも九六%以上の高率であるとしている点は、同五四年についてはそのとおりであるものの、同五二、五三年に関しては数%の誤りがあることが認められる。しかし、これらの点はいずれも、本件起訴の効力やその範囲に影響するなどの問題を生ずるには至らないものである。

第三 弁護人らは、検察官においては、本件脱税事犯と詐欺事犯は被告人の不正蓄財行為の表裏をなすものであるとの前提で論告を展開し、所得については損益計算法による主張をしているが、不正に蓄積されたという資産の存在についての主張、立証はなく、財産増減法によって資産の増加を具体的に示すことをせず、これを表現すべき貸借対照表も開示しないのは不適当である趣旨を主張する。

記録によると、被告人の各年の事業所得に関する検察官の立証は損益計算法によるもので、別に財産増減法は併用されておらず、修正貸借対照表も提出されていないことは明らかである。

所得税法違反事件の所得の立証方法としては、損益計算法と、財産増減法が行われているが、所得税法の規定(所得金額の計算の通則に関する三六条、三七条、事業所得に関する二七条二項等)によると、損益計算法の表現があり、所得税法上の所得を損益計算法により立証することは問題がないが、帳票の不備等のため、この方法をとることができない場合に、期首、期末の財産の比較による財産増減法による立証を許すものと考えられているところである。そして十分な資料によれば、損益計算法と財産増減法(ただし、いわゆる動態論による。)とは所得金額の結論において合致するはずであることがその選択を許す実質的な理由である。しかし、脱税事件の実際においては、帳票の不備、財産把握の限界等の理由により、立証可能ないずれかの方法を選ばざるをえず、刑事事件の立証において、常に両方法による不突合のない立証が可能とはいえないのが実情であると理解される。

してみると、本件において、検察官が損益計算法によって所得の主張、立証をし、財産増減法によるそれをしていないことが不適当であるとはいえず、損益計算法のみによる立証に証明力がないということもできないと考えられる。

第四 弁護人らは、本件所得税法違反及び詐欺を通じて、被告人の検察官に対する各供述調書には任意性がない旨を主張する。

被告人は、その供述書や、供述(ことに一二二、一二三)において、勾留中の病状や処遇等について触れているけれども、その内容自体や、本件記録、神戸拘置所長作成の回答書写(弁一八九)、弁護人河村澄夫作成の「ご連絡」と題する書面(弁一九〇)等によると、被告人は初めに所得税法違反により勾留の上起訴、保釈され、更に詐欺について勾留ののち起訴、保釈されたのであるが、各勾留中、身体の不調があったものの、医師の診断、投薬を受けたほか、起居にも特例を許されるなどしており、その事件に関する供述内容をみても、各種の弁解を十分に聴取されていることが認められ、これらの状況から考えて、各供述調書には任意性があることが認められる。

第五 なお、検察官の冒頭陳述等にかかる所得の計算方法は、区分計算によるもので、公表金額に対し、当期増減金額をあげ、このうち故意、因果関係の面から内犯則金額と単なる増減金額を分けているが、当裁判所は別に修正損益計算書を示したとおり、故意に関する前記の見解を前提として、検察官が内犯則金額としている金額のうち、罪となるべき事実に摘示した範囲では、故意及び因果関係を十分認めることができると判断したものである。

(詐欺に関する弁護人らの主張について)

弁護人らは、判示第二の一、二の各詐欺の事実については、法的にも、事実関係においても無罪であると主張するので、これについて判断する。

第一  弁護人らは、国民健康保険法(以下国保法という。)四五条四項の療養取扱機関(以下療養機関という。)は、その診療行為につき、それに相当する対価を保険者に対し請求する権利があり、国保法四五条四項の規定は訓示規定であって、療養機関の権利を消滅、変更させる効力はない。また、審査には客観的基準がないから、その結果が絶対に正しいとはいえず、他の委員が審査すれば減点もなく審査をパスすることも考えられる。財物の交付を受けまたは利益を得る正当な権利のある場合には欺罔手段によってこれを交付させても詐欺罪は成立しないとしている判例(大審院大正二年一二月二三日判決、判決録一九輯一五〇五頁)からすると、本件のレセプト分の診療報酬を刑法二四六条二項の不法の利益といえるかどうか疑問であり、これを処罰することは罪刑法定主義に反するという。

国保法四五条一項によると、保険者は、療養の給付に関する費用を療養機関に支払うものとされ、これを前提として、国保法四五条四項は、「保険者は、療養取扱機関から療養の給付に関する費用の請求があったときは、第四〇条に規定する準則並びに第二項に記載する額の算定方法及び前項の定めに照らして審査した上、支払うものとする。」と規定しているのであるが、この審査及び支払については、保険者自らこれをするか、あるいは同法四五条五項によりこれを連合会に委託することができるけれども、減点された分の診療報酬については、これを支払わないものとする制度であることは明らかであり、右委託を受けた連合会に対し、療養機関側において欺罔手段を講じ、支払を得たときは、詐欺罪が成立するものと解せられる。

この場合、欺罔手段を講じた時点では、当該診療報酬請求について減点の措置があるかどうかは未定であるが、もし客観的には減点すべきものがなく、全額の支払を受ける権利があったような場合には、権利行使のための欺罔行為が詐欺罪を構成するかどうかの問題となる。しかし、この点については、債権者が債権取立てのために債務者に対し欺罔手段をとってその弁済を得た場合でも、その手段が権利行使の方法として社会通念上一般に認容すべきものと認められる程度を逸脱したものであるときは、詐欺罪が成立すると解すべきである(恐喝罪に関する最高裁昭和三〇年一〇月一四日第二小法廷判決刑集九巻一一号二一七三頁の趣旨等参照。弁護人ら引用の判例は、一部これに反する見解によるものである。)ところ、本件詐欺の犯行の態様は、権利行使の方法としても、社会通念上一般に認容しがたいものであると認められるから、結局詐欺罪の成立を免れないと考えられ、このように解することが罪刑法定主義に反するものということはできない。

弁護人らは、この点に関連して、昭和五六年九月一〇日ないし一一日に行われた厚生省、兵庫県の総合医療監査は、本件の診療報酬請求については、手続違反とみて、詐欺罪としては不問に付したこと、国保法四五条には罰則がないこと、診療報酬請求に関して保険者側が審査をせずに支払をしても処罰されないと思われることなどをあげるけれども、これらを検討しても、右の結論を左右するには至らない。

第二  次に、弁護人らは、被告人には詐欺の故意がなく、他の者と共謀した事実もない旨を主張する。

一  しかし、証拠によると、本件詐欺の犯行については、判示第二の一、二に示した事実を含め、次のような点が認められる。すなわち、

被告人は、判示のとおり、昭和四二年九月一日から、同五六年二月一七日まで、国民健康保険法に基づく療養機関である近藤病院の開設者であり、この間、各保険者である市町等から委託を受けた連合会に対し、診療報酬の請求をしていたが、その場合の手続は、連合会の診療報酬請求受付期限が、診療をした月の翌月の一〇日であることから、近藤病院においては、診療をした月の末日ころから翌月八日ころにかけて、主治医及び病棟管理課の職員がカルテ指示簿に基づき患者ごとの診療報酬明細書(レセプト)を作成し、また被告人を含め主治医は、審査委員会の審査に向けて、当該治療を必要とした症状経過等をこれに付加したりし、ことに被告人は、翌月の三日ころまでの間に、シールになったメモ用紙にこれを記載しておき、のちにレセプトができた際にこれに貼り付けさせていたこと、同月九日ころには、病棟管理課長らがこれを集計して、保険者別に診療報酬請求書を作成し、レセプトにその集計である右請求書を添えて、一〇日の期限に連合会へ提出していたこと、連合会においては、国民健康保険法八七条により設置された六〇ないし七〇人の委員からなる診療報酬審査委員会が、毎月一六、一七日から五日間をかけて、各療養機関から提出された約八〇万通にのぼる診療報酬請求書を審査し、その第一日には再審査部会の委員が定例委員会に回すレセプトを選別するなどし、第二、第三日には定例委員会がそのレセプトの審査をし、第四日には審査小委員会が行われ、第五日には合計審査委員会があって最終決定となること、審査委員会の健康保険医等を代表する委員の中には医師横田友二、保険者を代表する委員の中には医師平林浩太が含まれていたこと、近藤病院のレセプトは、従来減点が比較的多く出ていたので、定例委員会から小委員会に回ることが多かったこと、この場合、レセプトは、定例委員会終了後小委員会開催前は連合会の審査委員会室に保管され、審査委員会終了後は、業務第二課四係へ返されるが、この時点では、請求書、レセプトは綴られたままであり、減点分のレセプトが検索のため折り曲げられた状態であるが、このあと連合会の係員が計数整理、増減点返戻通知書作成の作業のため保険者ごとにレセプトを分ける必要から、レセプト等の綴はばらばらにされたこと、なお、連合会の事務所は、兵庫県福祉センター内にあったが、判示のとおり昭和五三年七月七日以降はセンタープラザに移転したこと、

被告人は、かねて近藤病院のレセプトの減点が多いことから、連合会の審査委員らとの人間関係をよくする必要を考え、委員や主な職員をゴルフに招待したり、食事の接待をしたりしていたが、同四八年ころ、このゴルフに参加した塩郷が、以前に社会保険診療報酬支払基金で審査課長を勤め、のち兵庫医大の医事課長をしており、事情に詳しいのを知って、同五〇年以降、当時年に三、四回開催していた被告人の招待ゴルフの世話役を塩郷に依頼し、同時に、病院の減点を減らすようにしてもらいたい旨依頼した。塩郷は、もともと、被告人に対して、自分は減点対策ができる旨売り込んでいたこともあり、これを引き受け、その後は連合会の審査委員や職員等に接触したりして、減点対策に努力しており、連合会職員の前記坂本に対しても、同五〇年ころ、審査の甘い委員にレセプトを回す方法はないかという相談をしたことがあったこと、

同五一年五月ころ、塩郷は、連合会の職員である井上をゴルフに連れてきて被告人に引き合わせたので、被告人は監理局長の木元に、減点を少なくする目的で、井上と接触して人間関係を作るよう指示し、この時期以降、塩郷、木元は病院の費用で井上とよく飲食、ゴルフ、麻雀などをし、その間井上に対して、ゴルフに誘った車の中などで、機会あるごとに、四、五回にわたり、レセプトを審査を経ないで通し、支払を受ける方法はないかと相談を持ちかけていたが、これに対し井上はそれを断っており、同五一年七月に、近藤病院に対する連合会の減点が多かったので、被告人がそのころ前記敷炉屋のカウンターで井上、塩郷、木元と飲食中、再審査請求をしたいと言ったときにも、井上は、これを止めさせたが、そのとき、「方法としては、レセプトを査定の甘い先生のところへ回すように細工するか、問題になりそうなレセプトを別口にして、その分については審査を潜らせ、審査を通ってきた他のレセプトのなかへ差し込んで、全部について審査が済んだ形にするか、一旦審査を通し、減点されたレセプトの減点個所を訂正する方法がある。」と言い、塩郷が「その差し込みをやってくれないか。」と頼んだのに対しては返事をしないので、被告人は、とにかくどんな方法でもいいから、安全で長続きする方法で減点を減らすように依頼し、井上は「検討します。」との旨答えたこと、その後同五二年三月に塩郷が井上を病院に連れてきたが、被告人に対しては格別の話はなかったこと、同じころ、被告人は、塩郷や木元から、井上が子供の学費にするため一〇〇万円の借金を申し込んできていることを聞いたこと、

同五二年五月一日に、井上が連合会で近藤病院のレセプトをも扱う業務第一課の課長になった機会を捉えて、同年五月九日、木元は井上を病院に呼び、被告人と木元は前記敷炉屋で井上と食事をすることにし、電話で塩郷に電話をして、敷炉屋で落ち合う約束をし、被告人自ら車を運転して井上と木元を後部に乗せ、同日午後五時過ぎころ病院から神戸市内へ向かったが、その車中で、木元が井上に対し、減点が少なくなるよう更に依頼したので、井上は、初めは、「難しい。」と言っていたが、「点数の高いレセプトや、問題の起こりやすいレセプトは、抜いて別口にして、これを審査が済んでから、他の審査済みのレセプトの中へ差し込むやり方で審査を潜らせましょうか。」と言い、木元は、「できたらその方法でお願いします。」と頼んだこと、これを聞いた被告人は、井上がそんなやり方を本当にやってくれるならそれに越したことはないと思い、井上に「そんな方法でお願いできるのなら、私としては減点さえなくなれば、どんな方法でも結構なのですから、それでお願いします。全てお任せしますからよろしくお願いします。」と言ったこと、これに対して井上は、「なんとかやってみましょう。」と答えたこと、午後六時ころ敷炉屋に着き、飲食を始めたあと、塩郷が遅れて到着して加わり、約一時間四人で会食したが、その席上、塩郷は、「井上課長も今度は近藤病院のレセプトの担当課長に代わられたのだから、今後は別口のレセプトを、審査が終わった時点で、審査がすんだ他のレセプトの中へ差し込むというやり方でなんとか減点されないようにお願いできませんか。」と言い、被告人や木元もあらためて、「どうかよろしくお願いします。」と言って頭を下げたこと、翌日である同五二年五月一〇日、被告人は、井上がこのような約束をしたことから、先に聞いた一〇〇万円を井上に貸してやったこと、

井上は、その後五月、六月に別口レセプトと差し替え用の請求書を病院の従業員から受け取ったが、差し込みの時期を決めかねて、正規の手続きに乗せていたところ、同年七、八月ころ、定例委員会の審査終了後に差し込むことに決め、自ら近藤病院へ行き、レセプトを選別して持ち帰り、同五二年九月一九日ころ、前記の審査委員会の開かれる会議室に保管されていた定例委員会の審査済み、小委員会の審査待ち中の近藤病院の他のレセプトの中に、別口として預かった吉田福司ほか二〇名のレセプトを差し込み、同時に請求書を差し替えたこと、被告人は、同年九月二〇日ころ、木元からその報告を聞き、木元が、更に具体的な方法、通数などを井上に聞こうというのを抑えたこと、その後も、井上は毎月病院にきて、レセプトを抜いて持ち帰り、差し込みをしており、のちにはレセプトの選定を病院の病棟管理課員がするようになったが、井上は、同五三年七月七日、連合会事務所が前記センタープラザに移転したのちの同年七月、八月は、審査終了後の時期に休日出勤するなどして、審査委員会の審査済みのレセプト綴りを業務第二課のロッカーから探し出して別口のレセプトを差し込む方法に変え、判示のとおり、同五三年八月まで、一二回にわたり差し込みを実行したこと、

被告人は、初めのころ、木元らから、井上が毎月レセプトの選別をしており、差し込みもしているはずであるとの趣旨の話を聞いていたが、そのことは、毎月の増減点返戻通知書等からも分からず、確証はないことなどから、実際にそれをやってくれているのかどうか多少の疑いと不安をもっていたので、同五二年九月に初めて差し込みをした旨の報告を木元から聞いたのちの同年九月か一〇月ころ、ゴルフ場で井上と会った際に、「近藤病院のレセプトを審査委員会後に差し込んでいるという噂を聞いたが、本当にやっているのか。」との旨質問して、差し込みをしていることを本人に確かめたこと、

被告人は、井上に対して、同五二年の中元まで五、〇〇〇円の品物を贈っていたが、井上の差し込みが始まった同年の歳暮から、それが終わった直後の同五三年の歳暮までは、これに毎回五万円の現金を加え、同五四年の中元以降はもとの五、〇〇〇円の品物だけに戻したが、この間、ほかに月二万円位ずつを井上に渡し、木元、塩郷が井上と飲食したり、ゴルフ、麻雀をした費用を負担していたこと、

更に、同五三年九月一日、井上がほかの課に移り、井上の後釜となって差し込みをしてくれる人物が必要となったが、木元からその相談をうけた被告人は、人選を塩郷に任せておいたところ、同年九月上旬、塩郷は、後釜は坂本係長に頼んだ旨を被告人に報告したこと、被告人は、同人が塩郷に連れられてゴルフに来ていたのを知っており、塩郷に対し、「今後とも坂本係長との連絡などは塩郷にまかせるから、よろしく頼む。木元にも連絡して、坂本係長にも謝礼をするように頼む。」旨言ったこと、

坂本は、前記のように、塩郷から、審査の甘い委員にレセプトを回す方法を尋ねられたことがあったが、同五三年九月一日の異動で、業務第一課の課長補佐兼甲表係長事務取扱となり、なおその後同五四年一〇月一日に業務第三課の課長補佐兼第一係長事務取扱となったところ、これに先立つ同五三年八月中旬ころ、センタープラザ内の喫茶店「カリベ」で、点数の高いレセプトを審査後に入れてもらえないかと言われ、同五三年九月になって、塩郷に対しこれを引き受ける返事をし、同年九月上旬には最初の津山浅一ほか九名分の別口レセプトと差し替え用の請求書を受け取り、同月の審査委員会の審査が終了して、業務第二課四係へ返ってきたレセプトの綴を、計数整理前に取り寄せ、減点内容を見る振りをして、別口レセプトを差し込み、請求書をも差し替えたこと、この方法はレセプトが綴ったままであって、やりにくいことから、のちには、計数整理後、レセプトがばらばらにされた時期に綴を借り出して差し込みをするようになり、このようにして判示のとおり前後一三回にわたり差し込みを実行したこと、

坂本が井上の後釜を引き受けた直後の同五三年九月一二日、木元は塩郷と共に井上と坂本をクラブ「なつめ」で接待したが、その後は被告人自身は、坂本とはあまり接触せず、ただ招待ゴルフや、スナック「ウッド」で出会った際に、「病院が大変お世話になっておりますが今後ともよろしくお願いします。」というような挨拶をしていたこと、

被告人は、坂本が差し込みを承知した同五二年の歳暮から、従前の三、〇〇〇円の品物に五万円の現金を加えて贈っており、ほかに月二、三万円を渡し、同人の飲食代等の請求書が回ってくると、これを支払っていたこと、

被告人は、同五四年中頃、スナック「ウッド」で坂本と出会った際に、坂本の部下が、塩郷の話をしており、同人が被告人に良い顔をするため、増減点返戻通知書を書き替えて、実際より減点が少ないようにごまかしている、というのを耳に挟み、間違いなく差し込みがされているのかどうか不安を覚えたが、従来の状況から、それはほぼ間違いないと思い、そのままにしたが、のちに脱税事件で起訴後保釈中の同五六年四月ころ、坂本に質問して、書き替えの事実もあることを確認したこと

などを認めることができる。

二  そして、右事実によると、被告人は、当初は、減点を少なくするため、連合会の審査委員、職員らとの人間関係をよくするという発想で塩郷の経歴等を利用しはじめたが、その後も減点が続く状況のもとで、これを減らすためには井上が挙げたうちのどの方法でもいいと言うようになり、この被告人の意思を受けて、塩郷、木元らは井上に対し、危険であるが最も確実とみられる別口レセプト差し込みの方法をとるように、四、五回にわたり求め続けていたが、井上はまだこれに応じなかったところ、井上が子供の学資一〇〇万円の金策を塩郷や木元を通じて被告人に申し入れていた時期に、前記同五二年五月九日の敷炉屋での会食があり、同所へ行く車中、及び敷炉屋で会食中に、井上としては直接被告人、木元、塩郷から改めて同様の趣旨の依頼を受け、遂に、「やってみる。」という表現で差し込みを承諾するに至ったもので、被告人には判示第二の一の詐欺の故意があり、遅くとも右五月九日の時点において、井上を含む共犯者との間で謀議が成立したということができる。

そして、右の謀議は、右共犯者らが右詐欺の犯罪を実行するため、共同意思のもとに一体となって互いに他人の行為を利用し、各自の意思を実行に移すことを内容とするものであり、井上はこれにより差し込みの行為を実行したのであるから、被告人は共同正犯としての責任がある。

また、右のような共謀に基づく犯行が約一年間続いた時点で、被告人らはなお故意を継続し、井上の異動に対応して、同五三年八月中旬ころ、塩郷が坂本に差し込みの犯行を依頼し、承諾を得てきたのに対し、同五三年九月上旬にこれを聞いた被告人が直ちに了解し、塩郷に命じて木元にもこのことを連絡して坂本に謝礼の手配をさせたのであるから、被告人が坂本に直接面談等して犯行を依頼していなくても、判示第二の二については共犯者間で順次成立した謀議があり、この謀議の内容、性質は前記第二の一に関するものと同様であり、坂本はこの謀議により、差し込みの行為を実行したのであるから、被告人は第二の二の詐欺についても共同正犯の責任を免れない。

三  これらの点に関連して、弁護人らは、差し込みにより審査を免れるというような不当で重大なことを自動車の中や、人目のある料理屋で相談することは極めて不自然、不合理で到底常識では考えられず、もしこのようなことを頼むのであれば、もっと周到に用意されていたはずであるというが、判示第二の一についての犯行の依頼は、同五二年五月九日以前に塩郷、木元から機会を捉えて四、五回井上に対して持ちかけられていたのであり、当日初めて依頼したものではなく、また、このように余人を交えず共犯者が揃う機会が数多くあったことは認められないから、この機会に、まず木元、次いで期せずして塩郷が差し込みを依頼したことや、この会食が以前から計画、準備されたものではないことが、不自然、不合理であるということはできない。

また、弁護人らは、被告人はレセプトを審査委員会に提出する前に、高点数や審査で問題になりそうなレセプトについては、審査委員に病状や病気の経過などを説明するためのメッセージを長時間をかけて克明に書いているが、これはレセプトが全部審査委員会にかけられるものと信じていたからに他ならないというが、被告人は、前記のとおり、月末から翌月三日ころにかけて、メモ用紙に当該治療を必要とした症状経過等を記載して、レセプトに貼らせていたのであるが、証拠ことに被告人の検察官に対する供述調書(七六六)によると、被告人がこれを作成している時点では、どのレセプトを抜いて別口とするかは決まっていなかったこと、また、万一、手違いで審査を受けることになった場合を考えて付けていた旨を述べており、このメモ作成の事実から、被告人に差し込みの認識がなかったということはできない。

弁護人らは、被告人は、同五二年一〇月二一日有馬ロイヤルカントリークラブで井上に対し、また同五四年九月二日有馬カントリークラブで坂本に対し、差し込みをしているかどうか確かめたが、両名の返答は否定的であり、その後同五六年三、四月に谷口弁護士事務所で再度坂本に尋ね、やっと差し込みが行われている旨の回答を得たが、もし被告人が敷炉屋で差し込みのことを共謀していたとすれば、わざわざ両名に確かめるはずはないというが、証拠によると、前記のとおり、被告人は、同五二年九月か一〇月ころ、ゴルフ場で井上と会った際に、差し込みのことを本人に確かめたが、このとき井上は、「そんな心配せんでも、われわれに任しといたらよろしい。」と答えたことが認められ、被告人は、これ以前の同年九月二〇日ころ、木元から、井上がレセプトを差し込んだ旨の報告を受けていることを考えると、この際井上に、差し込みが現実に行われていることを確認したとみるのが相当であり、その際前記のように、噂を聞いたような形で質問しているのは、前記報告があったことからすると、質問をえん曲にしたものにすぎないと考えられる。

また、証拠によると、被告人が、やはりゴルフ場で坂本に、「減点対策で危険なことをやっていることはないだろうな。」と聞いたのに対し、坂本は、「それは塩郷に任しといたらいいん違いますか。」と答え、のち、前記のように、同五六年四月ころ保釈中に、被告人が増減点返戻通知書の書き替えに関して坂本に聞いた際に、差し込みが実際に毎月なされたか、実際にできるのかとの旨をも質問したので、坂本は、実際にしている旨を答えたことが認められるものの、ゴルフ場での右の問答については、当時被告人が、差し込みの実行について確認の方法がないことから、多少の不安をもっていたことが認められること、被告人は坂本に直接差し込みの依頼をしていないため、塩郷の坂本に依頼したという言葉を確かめたい気持ちがあったことは容易に推認できることなどからすると、被告人のこの言動が、前記認定に反し、被告人は差し込みについて認識がなかったという証左であるということはできない。

また、証人坂本哲也(三〇)によると、同五六年四月頃の際の問答は、弁護士事務所でなされており、第三者が同席していたことが窺われ、被告人が真実自己の疑問とするところを質問したのかどうかは明らかでなく、坂本としても、差し込みがなされたか、できるのかという質問については、「そんなこと、知らなんだんかな。」と意外に思った趣旨の供述をしており、被告人がそのような質問をしたということから、前記認定に反し、被告人に差し込みの認識がなかったと認めるには至らない。

また、弁護人らは、坂本が、塩郷から差し込みを頼まれたというが、被告人から頼まれたとは供述していないことを挙げるが、この点は、前記共謀に関して認定したとおり、被告人の順次共謀による共同正犯の責任を免れさせるものではない。

第三  更に、弁護人らは、判示第二の一の、井上の実行した差し込みについて、証人井上重由(二九)が述べるように、同人が、他のレセプトが小委員会に回される直前に別口レセプトを差し込み、連合会がセンタープラザに移転した後は差し込みができなくなったので職員に頼み、別口レセプトも定例委員会に回してもらったというならば、判示第二の一の一七七枚のレセプトは全部審査委員会の審査を受けたことになるという。

そして、証人井上の供述の趣旨は、弁護人らの指摘するとおりであるけれども、井上重由の検察官に対する各供述調書(ことに一一二七)を参酌すると、前記認定のように、井上は連合会が移転した後は、休日に出勤して、業務第二課のロッカー内にあったレセプト綴に別口レセプトを差し込んだことが認められ、これは審査委員会の審査終了後であるから、審査委員会の審査を全く受けなかったことになるのは明らかである。

また、右移転までに井上が差し込みをした時期は、前記認定のとおり、定例委員会後、小委員会前であるから、差し込んだレセプトは、小委員会を経由することにはなるが、定例委員会の審査を逃れたのにほかならず、審査委員会の審査を免れたものということができる。そして、証人井上重由(二九)と、その検察官に対する各供述調書(ことに一一二七)によると、審査は、定例委員会の審査を中核としており、小委員会は、実際には定例委員会が減点と判断して頁を右折りにしたものを審査するにとどまり、それ以外のものを新たに査定することは皆無に等しいことが認められ、この時点での差し込みをしたことは、審査を完全に逃れたに等しい実質があるというべきである。

第四  このほか、弁護人らは、被告人、木元、塩郷、井上がいずれも、捜査段階では自白したものの、公判廷ではその自白を覆しており、右四名の検察官に対する各供述調書は特信性、信用性がない旨を主張しているが、まず、被告人の検察官に対する各供述調書については、先の所得税法違反についての弁護人らの主張の項の第四に示したように、任意性があることを認めることができる。

また、共犯者とされる木元・塩郷・井上は、いずれも検察官に対する各供述調書では被告人との共謀を含めて詐欺の犯行を自白したのにかかわらず、公判においては共謀その他の点において異なる供述をしているのであるが、これらの関係者の被告人との従来の間柄や、被告人に雇用され、あるいはその他の経済的な報酬を受けていた恩義等があることなどを考えると、それにもかかわらず被告人に不利益な供述を敢えてした捜査段階の供述には、特信性を認めるのが相当である。

そして、これら任意性、特信性の認められる各供述の内容をみると、被告人を中心とした犯罪の動機の形成、被告人の意思を基にしたその謀議が順次成立した状況、実行者が犯行の機会を捉えてこれを実行し、その報酬を得ていた状況等に関して、自然で、合理的な内容が述べられており、その内容は関係の客観的な証拠にも合致し、十分信用できると考えられる。

その他、詐欺の点についての弁護人らの主張を検討しても、前記認定を覆すには足りない。

(確定裁判)

被告人は、昭和五三年二月一七日神戸地方裁判所で所得税法違反罪により懲役一年及び罰金二五〇〇万円(懲役刑につき三年間執行猶予)の刑に処せられ、右裁判は同五四年三月三一日確定したもので、右事実は検察事務官作成の前科調書(二四四)によりこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示第一の一ないし三の各所為は、いずれも昭和五六年法律第五四号附則五条により、同法による改正前の所得税法二三八条、刑法六〇条に、判示第二の一、二の各所為は、いずれも刑法二四六条二項、六〇条に該当するところ、前記確定裁判を受けた罪と、判示第一の一、二の各所得税法違反罪、第二の一及び第二の二の別紙(八)の一覧表番号1ないし3の各詐欺罪とは、刑法四五条後段の併合罪であるから、同法五〇条により、まだ裁判を経ない右の各罪につき処断することとし、判示第一の一、二の各所得税法違反罪につき、所定刑中懲役刑及び罰金刑を併科し、右の各罪は刑法四五条前段の併合罪であるから、懲役刑については、同法四七条本文、一〇条により刑及び犯情の最も重い判示第二の一の別紙(七)の一覧表番号9の詐欺罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内、罰金刑については、同法四八条二項により所定罰金の合算額の範囲内で、被告人を判示第一の一、二、第二の一及び第二の二の別紙(八)の一覧表番号1ないし3の罪につき懲役二年及び罰金一億四〇〇〇万円に処し、更に、判示第一の三の所得税法違反罪につき、所定刑中懲役刑及び罰金刑を併科し、右の罪と、判示第二の二の別紙(八)の一覧表番号4ないし13の各詐欺罪とは、刑法四五条前段の併合罪であるから、懲役刑については、同法四七条本文、一〇条により刑及び犯情の最も重い判示第二の二の別紙(八)の一覧表番号12の詐欺罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内、罰金刑については、所定罰金額の範囲内で、被告人を判示第一の三、第二の二の別紙(八)の一覧表番号4ないし13の罪につき懲役一年六月及び罰金七〇〇〇万円に処し、同法一八条により、被告人において右各罰金を完納することができないときは、罰金額中それぞれ三〇万円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により、主文掲記のとおり被告人の負担とする。

(量刑の理由)

本件は、近藤病院を経営していた医師である被告人が、病院の監理局長、経理担当者と共謀して、昭和五二ないし五四年の三か年にわたり、所得税合計約九億九〇〇〇万円をほ脱した所得税法違反と、被告人が、病院の相談にあずかっていた塩郷や監理局長のほか、兵庫県国民健康保険団体連合会の職員らと共謀して、同五二ないし五五年の間に前後二五回にわたり、診療報酬請求明細書(レセプト)を連合会の審査手続きの途中またはその終了後にひそかに差し込んで、病院の保険診療報酬請求に対する連合会の審査を潜脱し、合計約三億円相当の不法の利益を得た詐欺の事案であり、各犯行の動機に酌量すべきものは多くないこと、所得税法違反の犯行は、計画的であり、病院の職員らを加担させたほか、関係の取引先等をも不正手段の作出に利用した大規模なものであり、その犯行を三か年度にわたり反復していること、詐欺の犯行は、連合会の審査手続きを熟知した幹部職員を共謀に引き込み、周到な観察のもとに手段を選びながら、巧妙な犯行を約二年余りの長期にわたり、多数回反復したものであること、所得税法違反、詐欺とも、そのほ脱の金額、利得の金額が高額であること、所得税法違反においては、正当な税額中、ほ脱にかかる税額の割合が同五二年について約九〇%、同五三年について約八八%、同五四年について約九六%の高率であることに加えて、各犯行はそれぞれ、租税制度、国民健康保険事業の適正な運用を阻害する悪質な行為であり、また、医師や医業に対する社会一般の評価を毀損した遺憾な所業であるといわざるを得ないこと、更に、被告人には所得税法違反罪の前科があり、本件はその審理中、あるいは執行猶予期間中の犯行であることなどに照らすと、被告人の刑事責任は相当重いといわなければならない。

してみると、所得税法違反については、被告人が当時、従来の租税の負担や、施設改善の要請等から多くの資金を必要としていた事情、詐欺については、被告人としては当時多くの減点措置に不満があったこと、もし完全な審査を経たとしても、本件の診療報酬請求額中相当額は被告人に支払われた可能性が認められること、更に、被告人が父祖伝来の医業を継いで、昭和四二年に近藤病院を開設して以来、地域の最先端の医療機関となることを目指して努力し、神戸市北方面の有数の医療施設として社会に貢献してきた面があること、所得税法違反については、その税額等について行政手続上なお審査中であること、その家庭の状況など証拠にあらわれた事情を可能な限り被告人の利益に参酌しても、主文の懲役刑及び罰金刑に処することはやむを得ないものである。

よって、主文のとおり判決する。

平成三年五月三一日

(裁判長裁判官 加藤光康 裁判官 中川隆司 裁判官 大﨑良信)

別紙(一)

修正損益計算書

自 昭和52年1月1日

至 昭和52年12月31日

〈省略〉

〈省略〉

〈省略〉

別紙(二)

修正損益計算書

自 昭和53年1月1日

至 昭和53年12月31日

〈省略〉

〈省略〉

〈省略〉

別紙(三)

修正損益計算書

自 昭和54年1月1日

至 昭和54年12月31日

〈省略〉

〈省略〉

〈省略〉

別紙(四) 脱税額計算書

昭和52年分

〈省略〉

資産所得合算のあん分税額計算書

〈省略〉

別紙(五) 脱税額計算書

昭和53年分

〈省略〉

資産所得合算のあん分税額計算書

〈省略〉

別紙(六) 脱税額計算書

昭和54年分

〈省略〉

資産所得合算のあん分税額計算書

〈省略〉

別紙(七) 一覧表

〈省略〉

別紙(八) 一覧表

〈省略〉

別紙(九)

〈省略〉

別紙(一〇)

貸倒一覧表(54年)

〈省略〉

別紙(一一)

〈省略〉

別紙(一一の二)

〈省略〉

別紙(一二)

〈省略〉

別紙(一三)

〈省略〉

別紙(一四)

〈省略〉

別紙(一五)

〈省略〉

別紙(一六)

〈省略〉

別紙(一七)

〈省略〉

別紙(一八)

〈省略〉

別紙(一九)

〈省略〉

別紙(二〇)

〈省略〉

別紙(二一)

〈省略〉

別紙(二二)

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別紙(二三)

〈省略〉

別紙(二四)

〈省略〉

別紙(二五)

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別紙(二六)

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別紙(二七)

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別紙(二八)

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別紙(二九)

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別紙(三〇)

〈省略〉

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